2015年10月9日金曜日

中之作「津波の碑」

 小名浜港アクアマリンパークで「いわきサンシャインフェスタ2015」が開かれたときのこと。港の「さんかく倉庫」を再活用した小名浜美食ホテル・潮目交流館の内陸側出入り口の前の、何かの設備の囲いにこんな表示のあるのが目に留まった。「2011.3.11/東日本大震災/津波浸水深ここまで▼」
 そうだよな、こういう表示がないと津波のことを忘れてしまっているよな――と思いつつ、四倉の国道6号の「津波標識」と、中之作港の「津波の碑」=写真=を思い浮かべた。

 2013年3月下旬、「道の駅よつくら港」手前の国道6号沿いに新しい標識が立った。「東日本大震災/津波浸水区間/ここから」とあった。「津波浸水区間起終点標識」というらしい。「津波標識」を見ると、いやでも3・11を思い出す。

「津波の碑」は中之作・折戸モニュメント建設委員会が市の補助を受けて中之作港の一画に建てた。碑のそばに「来襲した津波の高さ5メートル」を示すポールが立つ。被災からちょうど4年の今年(2015年)3月11日に除幕された。中之作は幸い犠牲者がいなかった。それを踏まえた碑文の一部――。

「昭和四十(一九六五)年頃の中之作港は漁業の全盛期であり、地元漁船は百隻を数え、県下有数の水揚げを誇っていた。(略)街は潤い、にぎわっていた。それが、このたびの災害により状況は一変し、漁業組合、中之作港漁民センター、海産加工地帯、冷蔵庫団地地帯、ことごとく崩壊。街中は金融機関をはじめ、商店街、人家数十軒が倒壊した」

「しかしながら当地区は、日頃から避難訓練を行っていたため、これだけの大災害にもかかわらず、一人の死者も出さずに済んだことを誇りとする。(略)なお、この石碑脇にあるポールの高さは、来襲した津波の高さ(約五メートル)であることを留め置く」

 中之作は海食崖に囲まれた漁港で、古くは商港として栄えた。『新しいいわきの歴史』(いわき地域学會)によると、江戸時代、西国・徳島の斎田塩は銚子・那珂湊経由で中之作に荷揚げされた。中之作は福島県の中通りとハマを結ぶ「塩の道」の出発点でもあった。

 ハマでは、禍福は海からやってくる。災いの記憶はいずれ薄れて消える。それを「見える化」したのが津波標識や表示・記念碑だ。あさって(10月11日)、3・11から4年7カ月。

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