2015年11月23日月曜日

キューピットの銅像

 遠い日の思い出――。阿武隈の山里から汽車で平駅(現いわき駅)に着いたあと、駅前からバスで小名浜へ向かうとすぐ、ロータリー(円形道路)を右折して国道6号に出た。ロータリーの中央には2人のキューピット(銅像)が水瓶(みずがめ)を掲げている丸い池があった。瓶からは水が噴いていた。今、そのキューピットはアリオスそばの平中央公園にある=写真。
 作者は平の彫刻家本多朝忠(ともただ)さん(1895~1986年)。平・松ケ岡公園にある安藤信正銅像も本多さんの作品だ。大正11(1922)年に建てられた信正銅像は太平洋戦争で供出された。今あるのは昭和37(1962)年に再建された2代目だ。

 先日、四倉で昭和11年に撮影された16ミリフィルムのデジタル版の試写会が開かれた。供出前の信正銅像が映っていた。古い絵はがきでも感じたことだが、初代の銅像は2代目と違って少し控えめなところがある。2代目は威風堂々とした感じで、いかにも激動の幕末に公武合体を成しとげ、欧米に使節団を派遣し、小笠原諸島の領有問題にけりをつけた宰相らしい風貌だ。
 
 きのう(11月22日)、試写会を主催した知人から信正の初代銅像の写真と、2代銅像の「粘土原型ができた」という新聞記事(昭和36年4月8日付いわき民報)のコピーがメールで届いた。先代銅像は、かみしも姿で右手に扇子を持ち、左手をはかまに添えている。現代人にたとえるなら青信号を待つ歩行者といった風情だが、下唇を突き出すように口を結んでいるところが生々しい。

 新聞記事の一部。「平城主安藤信正公の銅像再現は平市八幡小路、彫刻家本多朝忠氏の手で進められ、このほど高さ9・1メートルという大原形(粘土像)ができあがった。引き続き石膏取りに入り6月ごろに終え銅像を鋳造する予定だが、再現費300万円の寄付金の集まりが悪く、銅像完成の成否は拠金如何にかかっているといわれている」。とにもかくにも銅像は完成した。
 
 前にも書いたが、銅像にはモデルがいた。歴史研究家によれば、平の書店経営者だった。ところが、カミサンが本多さんの話として記憶しているのは、別人の絵描きだ。どちらも面長で端正な顔をしていた。断定するような話ではないが、本多さんの付き合いの広さがわかるエピソードではある。

 本多さんは昭和61年に91歳で亡くなった。プロレスや川柳・俳句を好む飄逸の人で、カミサンの伯父を宗匠に、はがきで連句を楽しんでいたこともある。春と秋の彼岸、墓前で飄逸の人と語る。「キューピットの水瓶が乾いている。噴水なんだから水を出してくれよ」と言っているようだった。

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