2015年11月9日月曜日

雨の三町目ジャンボリー

 わが地元の「神谷(かべや)市民歩こう会」が雨で中止になった。きのう(11月8日)未明、起きると星は見えなかったが、雨は降っていなかった。7時過ぎ、車の窓が少しぬれている。こぬかのような雨が降りだしていた。7時半前、スタート・ゴール地点でもある神谷公民館へ行く。主催する側なので、館長らと雨の予報を踏まえて「中止」を確認した。雨の一日になった。
 前の晩、中止になったらどこへ行くか、カミサンと話した。それぞれ二つ~三つ、たまっていた用を足すことにした。途中、運転手の気まぐれで道順を変え、山里巡りをした。小川から三和へ、三和から遠野へ。道に迷いながらの山越えドライブになった。カエデの紅葉がきれいだった。

 最後はいわきの中心市街地へ戻った。総合図書館のあるラトブに入ろうとしたら、本町通りの角でミニライブをやっている。雨でも「三町目ジャンボリー」を開催しているのを思い出した。
 
 三町目ジャンボリーは、第2日曜日のアリオスパークフェスと連動して、日曜日の街なかに人を呼び込もうと、三町目商店会の青年部が中心になって始めた。店の前の歩道に簡易テントを張った出店が何店かあった=写真。若い知人もいた。

 彼に話したことだが、ざっと100年前、山村暮鳥がこの三町目界隈をよく歩いていた。なかでも三町目2番地の洋物屋「十一屋」の大番頭さんとは昵懇(じっこん)だった。(西隣の1番地には、のちに洋食屋「乃木バー」ができる)

 大番頭さんは読書や文学が大好きだった。2人は、ひまを見つけては近くの洋食屋「福寿軒」へ通った(今はない)。「カツレツ、牛ドンが二十五銭の、懐かしいよき時代でした」と、十一屋のお手伝いさんが回想している(昭和58年7月1日発行の「週刊カメラ」創刊号)。
 
 十一屋では店頭を種物売りの「猪狩ばあさん」に貸していた。ある日、暮鳥とばあさんが話していたと思ったら、しばらくして大番頭さんから「種物売りばあさん」の詩を見せられた。お手伝いさんらは「わけもわからず、ただ、みんなでふき出した」そうだ。

 それは次の「穀物の種子」という詩だったろう。「夢」でばあさんを死なせたのだから、事情が分かっている人たちは笑うほかない。

と或る町の
 街角で
戸板の上に穀物の種子(たね)をならべて売つてゐる老媼(ばあ)さんをみてきた
 その晩、自分はゆめをみた
 細い雨がしつとりふりだし
 種子は一斉に青青と
 芽をふき
 ばあさんは顰め面(づら)をして
 その路端に死んでゐた
 
 三町目に「猪狩ばあさん」ならぬ若者が数軒、戸板ならぬテントを張って商店街に活気を呼び込もうとしている。毎月第2日曜日に開催するようになって6回目。若い知人は「雨ですけど、今回が一番人が出ています」といった。それはそうだ、私ら夫婦も彼から話を聞いてのぞいてみる気になったのだから。継続すれば定着する。定着すればクチコミでイベントが浸透する。東角のレストランのスープがうまかった。

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