2015年12月8日火曜日

家庭防空群

 わが家の庭のカエデが紅葉のピークを迎えた=写真。きょうは12月8日、太平洋戦争開戦記念日だ。昭和16(1941)年も平(現いわき市平)市内のカエデは紅葉していただろうか。今よりは寒冷だったはずだから、すでに散っていたのではないか。
 庭のカエデは、夏井川渓谷の隠居の庭に芽生えた苗木をカミサンが移植した。今では柿の木を圧倒するほどまでに生長した。実生は芽生えたばかりのころは、手のひらに載るほど小さい。「かわいい、かわいい」と庭に移植を繰り返していると、とんでもないことになる。車の出入りに支障をきたす幼樹をばっさりやった。

 さて、太平洋戦争が始まったころの「銃後」の様子はどうだったのか。いわき総合図書館のホームページを開き、昭和16年の地域新聞をチェックした。肝心の12月8日前後の新聞はない。
 
 すでに日中戦争下にあった同15年秋、「国論統一と同一職種の集約化」という国策にしたがって、いわき地方の日刊紙5紙が「磐城毎日新聞」に統合・集約される。同紙はさらに「1県1紙」政策のなかで「福島民報磐城夕刊」になる。それもやがて戦況悪化のなかで休刊の憂き目に遭う。16年9月以降、戦争が終わるまで純粋の地域新聞は、いわきでは発行されていない。
 
 では、16年の幕開けは? 1月7日付(6日夕刊)に「家庭空群も参加/警防始めの式挙行/優良団員、火防組、防空群表彰」の記事が載る。今の消防出初め式と同じで、「はしご乗り」も行われた。(「家庭空群」は「家庭防空群」、「防」の脱落ミスだろう)

 1月22日付では「市防空壕設計成る/物見岡稲荷神社下部貫通/工費二十万円で道路開鑿(さく)」「六号国道改良して/公園下隧道案/平市は労せず防空壕を得る」「平市内の商店自粛/旧正二日間休業/生活必需品業者は元日だけ」といった記事が目立つ。

 空襲に備えて防空壕をつくることにやっきになっていた。トンネルを掘れば防空壕にも応用できる。商店街も時節柄、派手に初売りはできない――そんな社会状況だった。やがて春を迎え、夏と秋が過ぎて、ラジオが最初の「大本営発表」を伝えたのがきょうだった。
 
 にしても「家庭防空群」とはなにか。ネットで検索すると、いろいろ出てきた。昭和12(1937)年、たった1週間の審議で「防空法」ができた。それに基づいて防空演習や「光の隠匿」(灯火管制)などが行われた。いわゆる「バケツリレー」の根拠になったのがこれだろう。「銃後」の生活を規制する法律が「戦前」に準備されていたわけだ。ちょっと“研究”してみるか。

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