2016年2月23日火曜日

専称寺の夕日

 21日の続き――。レイライン(光の道)は見る時間と場所(位置)が大事、そんな思いを実感している。
 おととい(2月21日)の夕方、夏井川下流右岸の小高い丘に立つ専称寺を、左岸遠方から眺めた。きのうは場所を右岸の寺のふもと近くに変え、時間も1時間ほど早めた。すると、夕日が本堂の屋根の上にあった=写真。こういう“事実”が「その瞬間、その場所にいること」の感動を生むのだろう。

 おとといは午後5時半前、寺の本堂から直線でおよそ1.2キロ離れた国道6号バイパス夏井川橋の上から夕日を見た。夕日は専称寺のはるか西方、しかもかなり北側の湯ノ岳~三大明神山あたりに沈むところだった。これは見る場所を間違えたか――。

 翌日(きのう)は午後4時半前、街の帰りに専称寺のふもとへ寄った。寺のある丘がせり出し、夏井川が鋭くカーブしている。川に沿って伸びる道路の路肩まで、丘の影が伸びていた。その影が一部切れて明るいところがある。本堂の裏の鞍部から日が差しているにちがいない。枯れ田のあぜ道へ降りて振り返ると、図星だった。本堂を光で包むように夕日が輝いていた。

 昔、歴史研究家の故佐藤孝徳さんに春分・秋分の日、本堂の裏山に夕日が沈む、ということを教えられた。彼の著書『専称寺史』(平成7年刊)にも「本堂裏山は西方に日が没するのを、彼岸中日になると本堂で拝することができる『山越阿弥陀』のようになっている」とある。四半世紀も前、春分の日より半月ほど早く、裏山の鞍部に夕日があることを確認した。

そのとき、「山越阿弥陀」は夕日=西方浄土の来迎だと実感したものだが、おとといときのうの体験から、本堂裏山の鞍部に夕日が「ある」ことと「沈む」こととはまた別ではないか、そう思えてきた。
 
 前に見たときには、沈むところまでは確かめていない。沈むとしたら、いつが近いか。冬至のときに夏井川橋の上から見たら、本堂のやや南、11時の方向に日が沈んだ。寺のふもとからだと、あるいは本堂の屋根の裏側に沈んだかもしれない。
 
 春分の日までおよそ1カ月。日の出・日の入りは「一日1分」とみて、3月下旬には阿武隈の山並みの日の入りは午後5時50分ごろ、沈む場所ももっと北に移っている。平地の市街地近く、川にせり出した丘の日の入りはもっと早い。

 レイライン研究者の内田一成さんは専称寺本堂の地理的位置を探り、向きからして夏至に朝日と本堂がまっすぐ結ばれるのではないかと推定する。「真正面に夏至の朝日が昇るところでは、真後ろに冬至の夕日が沈む」という設計がなされている「聖地」もあるようだ。その線も否定できなくなった。

 光の道ということでいえば、専称寺の場合は本堂内に安置されている本尊を基点にしないといけないのだろう。本尊と対面したとき、裏山に沈む夕日が阿弥陀如来そのもの、光背そのものになる、ということではないか。それが春分・秋分の日か、冬至の日か、こんがらかってきた。実証あるのみだが、本堂は現在、震災復旧作業が進められて立ち入りができない。

「現場」の感覚では、春分の日のほかに冬至にもう一度、寺のふもとから(ほんとうは本堂から)日の入りを確かめないといけない、という思いになっている。専称寺のレイラインが実証できれば、次は川の参道である「渡し舟の復活」を、というのは気が早いか。(念のため、けさ、ストリートビューで夏井川橋の右岸側から専称寺を眺めたら、本堂の奥に湯ノ岳が見えた。やはり、春分・秋分の日に「山越阿弥陀」が出現するのか)

0 件のコメント: