2016年3月10日木曜日

海外への発信

 10日ほど前になる。いわき民報の「復興推進だより 人・ふれあい・希望」欄(月曜日)に、「いわき明星大 独で写真展/研究員が復興歩みを語る」が載った=写真。
「震災アーカイブ事業」に取り組むいわき明星大の研究員がドイツのフランクフルト大に短期留学をしている。同大からの要請で3月27日まで資料を展示している。3月4~6日にはイギリスのケンブリッジ大で写真展を開く――ということが紹介されていた。記事に添えられた写真に、展示会場で現地の人たちに解説する研究員が写っていた。

 研究員とは震災の年の暮れ、東京での集まりで知りあった。早稲田の博士課程に在籍していた。その後、いわき明星大の客員研究員になり、たびたびわが家に来るようになった。「おっ、ドイツでも頑張ってるな」。身内の人間を見るような思いで記事を読んだ。

 東日本大震災・原発事故は世界にどう伝わっているのか。伝わっていないとすれば、どう伝えるのか。

 東洋大のあるゼミでは、いわき市海岸保全を考える会が発行した『HOPE2』を英訳した。同書は震災と原発事故に遭遇したいわき市民や双葉郡の人々、ボランティアなどの証言集だ。130人が一人称で体験を語っている。インターネットを利用して「原発震災」を世界に発信している。

 研究員と同様、ゼミの教授ともシャプラニール=市民による海外協力の会を介して出会った。シャプラは国際NGOの日本の草分けだ。いわき出身の私の同級生が創立メンバーの一人だったので、45年前の創立時からかかわっている。

 そのネットワークのなかで、単発ながらアジアや中近東、アフリカなど、紛争・災害後の復興期にある国・地域でコミュニティ開発プロジェクトの計画立案に当たっているNGOや行政機関の職員と話したり、NGO・NPO関係者やシャプラの支援者と会ったりした。

 シャプラがいわきに開設・運営している交流スペース「ぶらっと」のボランティアだったTさんとともに、フランス人の女性写真家やドイツ在住の芥川賞作家多和田葉子さんと話したこともある。写真家と作家は2014年の2月18日から3月28日まで、ドイツのベルリンで写真と詩の2人展を開いた。
 
 フランス人写真家はあした(3月11日)、またいわきに来る。私の義伯父の家を拠点に、何日か南相馬市でボランティア活動をする。交流スペース「ぶらっと」はあさって閉鎖される。
 
 それぞれの5年が終わり、6年目が始まる。「イチエフ」の廃炉作業はまだ準備段階だ。「廃炉に40年」というが、100年だってありうる――イチエフをはさんで暮らしている浜通りの人間は、だんだんそんな気持ちになっているのではないか。それでも、ここで生きていく。

 原発事故の罪深さを世界が共有しないと、またどこかで地獄の釜の底が抜ける。そうならないよう、もっともっと国内外に「福島」を発信し、「福島」を見てもらう必要がある。そんな思いを抱くなかで、あす「3・11」を迎える。

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