2016年3月12日土曜日

もう一つのコミュニティ

 人はさまざまなコミュニティに属している。私の場合だと、行政区、いわき地域学會、いわきキノコ同好会、シャプラニール=市民による海外協力の会(いわきの交流スペース「ぶらっと」)、高専の同級生たち……。
 日々の暮らしのフィールド=行政区が基礎的なコミュニティだとすると、「ぶらっと」その他は「もう一つのコミュニティ」だ。属しているコミュニティが多ければ多いほど、得られる情報も多くなる。それだけ判断の精度も上がる(たぶん)。

「ぶらっと」はきょう(3月12日)で4年半の役目を終える。東日本大震災・原発事故がおきるとすぐ、シャプラは北茨城を経由していわきへ緊急支援に入った。それから半年後、「ぶらっと」を開設した。

 きのうは利用者が何人も「ぶらっと」を訪れた。私とカミサンが出かけた午後には、双葉郡からの原発避難者、いわきの地震被災者など数人がいた。シャプラの創立時からかかわっているという女性も、3月11日だからと横浜からやって来た。いわきリピーターの一人だ。原発避難の女性は「ぶらっと」、そしてスタッフへの感謝と別れのあいさつをして帰った。

 この日は金曜日。「ぶらっと」の教室から発展した健康運動クラブ(午前)、将棋クラブ(午後)の例会が、「ぶらっと」の斜め向かい、いわき市生涯学習プラザで開かれた。夕方、将棋が終わってお茶を飲みに来た人たちと歓談した=写真。拙ブログで紹介した「被災者のオアシス」の作者と、初めて話した。詩を書き、将棋もやるKさんが紹介してくれた。

「ぶらっと」は小さいが、確かなコミュニティだった。這って歩くのがやっとのような人が、「ぶらっと」へ通いだして二足歩行を取り戻した。人に会って元気になった――そういう人がいることを、双葉郡からの避難者が教えてくれた。最後の最後に、いや最後の最後だから、居合わせた人に伝えたかったのかもしれない。

 “暗夜航路”を余儀なくされ、波間に漂っていた人たちには、「ぶらっと」は一筋の光をともす灯台だったのだと思う。

「ぶらっと」はきょうで閉鎖されるが、「ぶらっと」でできたつながりはそれぞれのなかで続く。にしても、じっくり話すのはきのうが初めて、という人が少なくなかった。あれから6年目に入ったきょうもそうだろう。

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