2016年3月13日日曜日

「ぶらっと」終了

 きのう(3月12日)は日中、昼前から交流スペース「ぶらっと」で過ごした。外へ出るたびに空気が冷たくなっている。春から冬に逆戻りしたような感じだった。「ぶらっと」へ戻るたびに「さぶ~」が口をついて出た。
 夕方5時前、スタッフが天井からつり下げていた「交流スペース ぶらっと」のプラスチック板をはずした。この日、いわきへ取材に来た滋賀県の彦根東高校新聞部員も加わって、最後に記念撮影をした=写真。

 午後3時ごろ、人の出入りがあわただしくなる。高校生記者がスタッフ、居合わせた利用者にインタビューをする。彼らは一泊二日の日程でいわきへやって来た。私も取材を受けた。

 復興の度合いを数字で表すとどのくらいか――数字では答えられないので、私が感じるいわきの現状を話した。被災者の内面を想像する力を持ってほしい、現場を見てほしい、現場を見ることでなにか得られるものがあるはず――そんなことも話した。

 もらった「彦根東高校新聞」を読む。タブロイド判8~26ページで、年10回発行しているという。レイアウトは一般紙とスポーツ紙の中間といったところ、だろうか。デジタル技術にたけた高校生らしい自在さがある。被災地取材を継続している。質問や速記の仕方が高校生のレベルを超えている。

 生徒の一人に逆質問をする。「新聞記者になるの?」「理系なので」「理系だって科学記者になれるよ」。地元記者も「ぶらっと」終了の取材に来た。プロの若手記者と高校新聞の記者と、記事を読み比べたくなった。

 取材を受けている間に、浪江町から避難している夫妻が顔を出した。「ぶらっと」で知り合った。「いつかまた飲みましょう」。別れのあいさつではなく、次に酒杯を交わす確認だ。南相馬市出身の元スタッフもやって来た。

 間もなく活動終了の午後5時を迎えようとするとき、南相馬市からの避難者が初めて「ぶらっと」を訪れた。何かのイベントで「ぶらっと」の地元スタッフの世話になったらしい。「ぶらっと」の活動が終わると聞いて、スタッフにあいさつに来たのだった。「窓からのぞくだけで帰るつもりだったが、(スタッフがいたので)入って来た」という。

「ぶらっと」という場所だけでなく、スタッフもまた原発避難者や地震・津波被災者と一緒に歩んできた――最後の最後に、「取り残さない」活動を象徴するエピソードに触れて、寒さも吹き飛んだ。そう、またそれぞれの新しい一歩が始まる。

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