2016年3月8日火曜日

前兆地震

 あすは3月9日。5年前のこの日、三陸沖で地震が起きた。宮城県栗原市では震度5弱。津波注意報も発令された。さらに2日後、東北地方太平洋沖地震(災害名・東日本大震災)が起きた。 
 これまでの「3・11研究」では、3月9日の前兆地震どころか、1カ月前の2月から「ゆっくり滑り」が発生していたことがわかっている。それが引き金になった可能性が高いともいう。
 
 地震のメカニズムにも津波にも無知すぎた。「ゆっくり滑り」は初耳だし、9日の地震もいつもの単発としか思えなかった。

ただ、9日の自分の行動と意識は鮮明に思い出すことができる。その日撮った写真がある。ブログでも地震のことを書いている。変な地震だった、という印象がある。
 
 この日は今年(2016年)と同じく平日の水曜日。朝、夏井川渓谷の隠居へ出かけた。日曜日に用事があって行くのがずれたのだ。庭のすみっこに生ごみを埋めたあと、「春」を探した。前日までに降った雪が三春ネギの苗床に残っていた。が、風呂場の前のスイセンは花を開き始め、下の空き地ではあちこちでフキノトウが頭を出していた。そこへマヒワの小群が現れた=写真。

 15年も渓谷へ通って初めて写真に収めたマヒワたちだ。内心小躍りして隠居へ戻り、こたつに入った。間もなく正午、というとき――。家がカタカタいいはじめた。急に風が吹き始めたか、と思うくらいに、揺れは静かにやってきた。軽い身震いのようなものがしばらく続いたあと、家全体がガタガタ揺れ始めた。揺れは長かった(2日後にこれを超巨大にしたカタカタ・ガタガタがきた)。

 とっさに対岸の林を見た。モミや裸の木の枝が雪をかぶっている。林床も雪に覆われている。急斜面だから、しょっちゅう落石がある。見た目には、異常はなかった。NHKのラジオはすぐ地震放送に切り替わり、津波への警戒を伝えた。なにを偉そうに。そのときのアナウンサーの命令口調に鼻白んだ。
 
 2日後、庭の石垣が一部崩れ、対岸の岩盤もあちこちで崩壊した。石垣はまだそのままだ。しばらく「震災遺跡」にしておくしかない。
 
 あれから私はなにか学んだだろうか。3・11はいうまでもない。3・9のラジオ放送に感じた「うんざり」の根っこには危機感の欠如、慢心があった。隣郡の原発には無関心だった。
 
 日常的に危機意識を持続するのは難しい。しかし、防災への意識を高めることはできる。3・11以後、車のガソリンが半分になるとすぐ満タンにするのが習慣化した。区長が自主防災会の代表を務めている関係で、「防災士」の資格も取った。「防災士教本」を座右に置き、「災害とコミュニティ」のことをときどき考える。
 
 あした起きることはきのう起きている。遠い未来は遠い過去に似ている。時間の感覚を少し長く取りながら目の前のことに当たれ――そういう思いだけはいくぶん深まった。

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