2016年5月3日火曜日

作業所でバーベキュー

 5年前の震災で生まれた絆(きずな)――。シャプラニール=市民による海外協力の会の緊急救援・生活支援に携わった元スタッフがいる。そのつながりでいわきリピーターの知り合いが増えた。
 震災の年のちょうど今ごろ、疑似孫の親と飲んでいるうちに、若いときにつきあっていた豊間の大工氏の話になった。電話をするとつながった。わが家の近所に避難していた。数十年ぶりにつきあいが復活した。(原発事故がからんで、それまでは太いと思っていた絆がぶつりと切れた、そんなもろい関係でしかなかった人間もいる)

 豊間は津波で壊滅的な被害に遭った。大工氏の自宅は前に病院が建っていたこともあって残ったが、「全壊」の判定で住めない。地続きの作業所は床上1・5メートルの津波に襲われたが復旧した。本人もその津波からかろうじて逃げのびた。

 4月末にいわきリピーター3人がやって来た。義伯父の家にホームステイをした。土曜日(4月30日)夜、豊間の作業所で恒例のバーベキューをした。大工氏の地元の仲間も加わった。

 豊間は行くたびに景観が変わっている。集落の裏山が削られ、やがて高台住宅が建つ。海岸にはそこから出た土砂で防災緑地ができる。今度も道路の位置が変わっていた。

 飲むとやはり5年前の話になる。大工氏が当時の写真アルバムを引っ張り出してきた。震災から100日目の6月18日、豊間小体育館で合同葬が行われた。祭壇に飾られた遺影は写真1枚に収まらない。ダブりながらも8枚にわたって遺影の写真があった=写真。

 大工氏と仲間3人は消防団の現役かOBだ。今回はプロパンガスの話が印象に残った。ガレキの野となったふるさと――ガス臭い。「シュ-、シュー」と音がする。豊間は家々にプロパンガスボンベが各2本あった。それが津波の影響でホースが外れ、ガスを吹いていた。匂いと音を頼りに、2次災害を防ぐためにボンベの元栓を締めて回ったという。

 こうした大災害の細部を、外部の私たちは知らない。災害を学んで次に備えるためにも、聴いておかなくてはならないことがいっぱいある。

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