2016年6月1日水曜日

5月の終わりに

 5月の終わり(昨夜)に疑似孫がライブハウスで弾き語りをした。「クラブソニックいわき」=写真=といえば、若者にはライブハウスとして知られているが、私ら中高年には元映画館だ。初ステージだというので、ライブハウスになってから初めて出かけた。
「オギャア」と生まれたときから知っている。田村隆一の詩ではないが、およそ六千の日と夜が過ぎたら、しゃべって歌う少女に育っていた。

 文章に興味を持つようになったころ、「春と修羅」の入った『校本宮沢賢治全集』第2巻をプレゼントした。このごろは音楽に夢中になっている。先日、インド人2人がわが家にホームステイをした。母親と一緒にやって来て、私のアコースティックギターをかき鳴らして歌い、2人を喜ばせた。

 実はその前、わが家へカレーライスを食べに来たとき、初めてギターの弾き語りを聴いた。歌ったのはシンガーソングライター大森靖子(せいこ)の曲だという。「いつの間に、ここまで……」と感心しながらも、50年前の自分を思い出していた。

 内郷コミュニティセンターが内郷公会堂と呼ばれていたころ――。学校の寮仲間でベンチャーズのコピーバンドをつくった。同公会堂で初めて人前で演奏した。床は土間だった記憶がある。「テケテケテケ――」に合わせて、同年代の少女たちがゴーゴーダンスに興じた。そんなことをするのは“不良”、漫画を読むのも“不良”といわれた時代だ。

 今は禿頭(とくとう)白髪の団塊をはじめ、世代・性別を越えて音楽が人々の暮らしのなかに溶け込んでいる。疑似孫の両親もどっぷり音楽につかっている。疑似孫のライブ情報は母親から届いた。

 出演者は5人。疑似孫はトップバッター、ということは昔風にいえば「前座」だ。弾き語りをしているときの楽しそうな表情がよかった。いや、楽しんでいる姿を見てうれしくなった。歌の合間のしゃべりも重要らしい。わかりやすいたとえで自然に笑いを誘うあたりはなかなかのもの。表現者としての度胸は母親から、音楽は父親から受け継いだか。
 
 大森靖子の4曲を披露した。最後の「お茶碗」は、♪わたしのお茶碗ちっこいわ……金曜の夜には会いたいなそろそろお米も切れたでしょ――遠距離恋愛?と妙にリアルな日常がうたわれる。客は十数人だったが、初ステージはアマチュアらしい、アットホームなものだった。出演者はこうして、客の拍手と店のスタッフに支えられて育っていくのだろう。

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