2016年9月2日金曜日

「いわき、1846日」

 8月30日は東日本大震災から2000日目。きのう(9月1日)は防災の日――節目の日が続くなかで、シャプラニール=市民による海外協力の会の冊子『いわき、1846日――海外協力NGOによる東日本大震災支援活動報告』=写真=を読む。発行日は2016年9月1日。「防災の日」に合わせた意味をかみしめる。
 東日本大震災から1000日目は平成25(2013)年12月4日だった。そのときと同様、2000日目にも田村隆一の詩集『四千の日と夜』が頭に浮かんだ。日本の戦後の、およそ10年を象徴するタイトルだ。同じ筆法で災後2年9カ月が「千の日と夜」、5年5カ月余の今が「二千の日と夜」。

 この時間と重なる、いわきでの1846日――シャプラの報告書のタイトルには、一日一日が被災者と向き合った試練の日々、模索の日々だった、という思いが込められているのだろう。

 バングラデシュやネパールなど南アジアで「取り残された人々」の支援活動を展開しているシャプラが東日本大震災後、初めて国内支援に入る。今年(2016年)3月12日に交流スペース「ぶらっと」を閉鎖するまで5年間、いわきを拠点に被災者の緊急支援、生活支援、自立支援を続けた。

 その活動を、①私たちは何に取り組んだのか②いわきで暮らす人々からの発信③いわきで学んだこと、そして未来へ向けて――の三つのパートから振り返る。編集委員の一人として、②の発信者12人のうち半分、6人にインタビューをした。

 シャプラニールの前身「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」を立ちあげた一人が私と同じ学校に学び、同じ寮の部屋で寝起きしたいわきの人間だった。45年前の話だ。それもあって、昔からシャプラとかかわっている。私にとっては「外部のNGO」ではなく、いわきの遺伝子を持った「内部のNGO」だ。だからこそいわきへ来た、ならばという思いでこの5年間、シャプラに伴走してきた。
 
 冊子を読んであらためて思ったのは、シャプラの愚直さだ。③のなかの小見出しがそれを伝える。<私たちが気をつけたこと>として、「取り残された人々への視点」「『やりたい』ことをやらない」「当事者主体と市民参加」「現地調達の原則」を挙げる。

『やりたい』ことをやらない」とは、支援団体が自分たちでやりたい支援をしてさっさと引き揚げていくのではなく、必要な支援を探ってそれにじっくり取り組む、という姿勢をさす。この愚直さ=被災者が必要としているものは何かを絶えず問い直す視点=が被災者や行政、他団体などの信頼を得たのだと思う。
 
「エンパワーメント」(人々に夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っている素晴らしい、生きる力を湧きださせること=ウィキペディア)を目指すシャプラの活動を、この目と耳で確かめた5年間でもあった。
 
 今年3月時点での被災者アンケートや交流スペース「ぶらっと」、まちの交流スペース「まざり~な」の開設などの経緯も紹介したいが、それはまた別の機会に。

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