2016年10月22日土曜日

震度6弱

 今度は鳥取か――。今年(2016年)4月14日夜、「平成28年熊本地震」(最大震度7)がおきた。きのう(10月21日)は午後2時7分ごろ、日本海に面した鳥取県中部で最大震度6弱の地震。「東北地方太平洋沖地震」(震災名は「東日本大震災」)がおきたときの、いわきの震度と同じだ。
 東北の最南端に住んでいるから、揺れは全く感じなかった。ネットで調べ物をしていたので、時折、チェックするフェイスブックで地震を知った。発生から1時間余り、テレビ(NHK)の空撮映像から被害の程度が想像できた。屋根瓦が崩れた家がある。屋根のグシが壊れた家がある。墓地の墓石が倒れている――。

 東北地方太平洋沖地震では沿岸部が大津波に襲われ、甚大な被害が出た。地震被害だけの内陸部は今度の映像とほぼ同規模の被害のように思われた。原発事故が起きて一時避難し、空き巣と墓参り(春分の日がきた)が気になって、9日後に帰宅した。墓参りをしてあぜんとした。あらかた墓石が倒れていた=写真。

 熊本地震のときにもアップしたが、今度も災後3日あたりまでの余震、家の様子を当時の拙ブログで振り返る。5年7カ月がたって細部の記憶はあいまいになったが、記録があるおかげで「あのとき」を思い出し、鳥取県の被害状況を、被災者の心を想像することはできる。一種の「情報支援」になれば、という思いもある。
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【3月11日】午後2時46分ごろ、大地が揺れた。揺れて、波うって、今にも大地に亀裂が入るのではないか、と思われるほどの大地震になった。庭に飛び出して車の屋根に手を置いた。車がぼんぼんとびはね、前後する。二本の足では立っていられない。揺れが収まった時点で家に入る。本棚が倒れ、食器が落ち、テレビが倒れている。2階も足の踏み場がない。

【3月12日】いわきで震度6弱の「東日本大震災」に襲われた2日目だ。夜10時24分ごろ、震度5弱の横揺れがきた。12日のなかで一番大きな揺れだったかもしれない。震源地は福島県沖。11日午後2時46分ごろの、最初で最大の一撃に比べたら、時間も短く、揺れ方も弱かった。とはいえ、絶えず余震が続いている。震度5弱にはさすがに肝を冷やした。

 ケータイがかからない。固定電話も「込み合っています」になった。外からはかかってくる。地震、津波だけではない。放射能にも注意が要る。避難指示の範囲が福島第一原発から半径20キロに拡大され、建屋の爆発が起きた際には一般市民が被曝したという。いわきは第二原発からは半径15キロ圏内だ。いつ避難してもいいように心の準備だけはしておかないと。

 家の中の片づけも進まない。1階の茶の間、台所、寝室は片がついたものの、2階はしばらく散乱したままにしておく。片づけようという気持ちが起きないのだ。もっと落ち着いてからにしよう。

【3月13日】朝7時ごろ、息子から給水所へ行かなくては、という電話が入る。知人から「井戸水ならあります」という連絡が入っていたので、あるかぎりの容器を持って夫婦で出かけた。給水所へ出かけても待たなくてはならないので、知人の家へ向かったのだ。知人は公務員。召集がかかっていて出かけるところだった。

 飲むためには一度煮沸しなくてはならない。水洗トイレには十分、間に合う。わが家は水洗ではないから水は必要がない。二度往復して、ひとまず洗い水、飲み水にはめどをつけた。最初の地震のマグニチュードが9に修正された。
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 それから1カ月後の4月11、12日の2回、いわきはまた震度6弱の巨大地震に襲われた。

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