2016年11月16日水曜日

「来るだけ支援」

 疑似孫(高校2年生)が、授業で福島大生の「いるだけ支援」を知り、「大学生になって、もし機会があればやってみたい」とフェイスブックでコメントしていた。「『来るだけ支援』もあるぞ」と書いたら、「なんだって!? 私がいつも吉田家に長年にわたり実施してきた支援(?)のことかしら……?」という。
 疑似孫が来るときにはいつもカレーライスにする。カミサンはカレーライスをつくり、疑似孫がお代わりをすると喜ぶ。私も父親と酒が飲める。これが、つまり「来るだけ支援」。祖父母は孫が「来るだけ」でうれしいのだ。

 地震・津波の被災者、原発事故の避難者だけが「支援」の対象者ではない。それ以前から独り暮らしのお年寄りや、夫婦2人だけで世間とのつながりが薄くなった人たちがいる。そんな社会状況だったところに「原発震災」がおきた。

 まず、食べ物で祖父母と孫の関係が分断された。やって来る回数が減った。で、小学3年生と1年生の孫が来るだけで「支援」を感じるようになった。

 きのう(11月15日)、“学童保育”を頼まれた。息子の家に出向いて、宿題をやるのをみていた。前にもそういうことがあった。あるとき、下の孫に「ちゃんと問題を読め」と言ったときの、私の顔が鬼のようだったらしい。「じいじは怖い顔になる(ので、じいじと宿題はやりたくない)」と言われて愕然とした。1年生は1年生なりに相手の顔を、心の中を見抜いているのだ。

 宿題はどちらも簡単に、いや初めてテレビを見ずに集中して終わった。宿題をやりながら男と女と子猫の話になった。「じいじはばあばを好きなの」「パパが子猫を拾ってきた」……。「大好きだよ」(教育的配慮)「子猫は、じいじの隣のおじさんの家にもいるぞ」。そのあと、スイミングスクールへ連れていったのだが、早く宿題をすませたので、20分ほどはわが家に寄ってばあばの相手をさせた。

 スイミングスクールへ向かう途中、ハクチョウが数羽、空を飛んで行った。「夏井川の白鳥を見たか」「パパと見た」「夏井川ってどっち」「あっち」。ハクチョウおばさん=写真=の話をしたかったが、それは次にする。

 正味1時間でもサシで話すと、孫たちの目に映る社会や自然、学校のことがわかる。「ばあばはなんであんなに元気なの?」「さあ」といったやりとりも含めて、これが「来るだけ支援」なのだとあらためて納得する。

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