2016年11月30日水曜日

横道にそれる楽しみ

「どんどん横道にそれて、遊びながら学んでいく――これこそわたしの『銀の匙』授業のやりかたでした」。中学の3年間、中勘助の「銀の匙」を教科書にして現代国語の授業をする。私立灘校国語教師、故橋本武さんの授業はユニークだ。
 橋本武著『<銀の匙>の国語授業』(岩波ジュニア新書)=写真=を読んで納得した。どんどん横道にそれていくなら、『銀の匙』だけでも“読了”までに3年はかかる。
 
 たとえば――。「ぶ」動詞が出てくる。共通する動詞を考えさせる。「あそぶ」「まなぶ」のほかにどんな「ぶ」動詞があるか。それをどういう方法で考えたか。「あいうえお」順で考えたという子がいる。次に、その動詞を漢字で書かせてみる。さらに、歴史、民俗、自然……と次々に踏み込んでいく。要するに、総合学習で丸ごと作品を味わう。これこそが「横道にそれる」醍醐味だ。

 11月6日にいわき市立草野心平記念文学館で第39回吉野せい賞表彰式が行われた。式後、現代詩作家荒川洋治さんが「詩を知るよろこび」と題して記念講演をした。

 荒川さんは冒頭、吉野せいの短編集『洟をたらした神』に触れてこんなことを言った。灘校では、橋本さんが『銀の匙』を教科書にした。いわきでも同じように『洟をたらした神』を教科書にしたらいい――。で、後日、『<銀の匙>の国語授業』を、図書館(ティーンズコーナー)から借りてきた。荒川さんの言わんとしていることがよくわかった。

 実はそのころ、『洟をたらした神』のなかの「麦と松のツリーと」に関して、作品世界と呼応する資料をネットから手に入れた。
 
「麦と松のツリーと」のあらすじ――。終戦前年の師走の暮れ・夫の三野混沌(吉野義也)とせいが菊竹山の畑で麦踏みをしていると、炭鉱の捕虜収容所通訳Nさんと捕虜の若い白人が現れる。Nさん「この辺に樅の木はないかねぇ」、混沌「樅はねえなあ、松の木ならどうだ」。Nさんと若者は松林の中に入り、クリスマスツリー用に「ひねくれた一間ばかりのみすぼらしい芯どまりの松」を取ってきた。

 それから8カ月過ぎた真夏の日、Nさんに引率された30~40人の俘虜、いや今は勝ち誇ったアメリカ兵たちが、愉快気に菊竹山へ山遊びに来た。集落の小さい子供たちは「ガム、くんちぇ」。列の後方からあのときの若者がせいの目の前に白いものを投げてよこす。1メートルほどの人絹布に吸い残し5本が入ったたばこの箱。たばこは混沌が吸い、布は肌着の半襟にでもとせいがしまいこんだ。
 
 この作品世界を捕虜の側から照らし出したのが、ネットで見つけたPOW(戦争捕虜)研究会の笹本妙子レポート「仙台第2分所(好間)」だ。捕虜収容所に菊竹山からとってきた松の木を据え、あれこれ飾ってクリスマスを楽しむ。内容は略すが、「麦と松のツリーと」の世界がより生き生きと立ち上がってきた。橋本流とはこういうことなのだ。
 
 橋本さんの本を読んだあと、『洟をたらした神』の最初の短編「春」について、「注意すべき語句」をチェックしてみた。①動植物=カエルの冬眠・ゆりみみず・陸稲(おかぼ)・粟②農業=万能・唐鍬・新切り叩き・二段返し③その他=乾地湿地・モッコ・地鶏・あひるの卵・浜の祖父の病気見舞い――。これまでいかに適当に作品を読み流していたことか。横道にそれて学ぶことがいっぱいある。

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