2016年12月14日水曜日

絵物語「月光仮面」

「月光仮面」がいわき地方の地域新聞に連載されていたはず。いわき民報だったか、三和(さんわ)新報だったか。「三和新報」改題紙の「夕刊ふくしま」だった=写真。
 いわき市立図書館のホームページに「郷土資料のページ」がある。新聞・地図・絵はがき・企画展示・その他――の5つのジャンルに分かれている。東日本大震災が発生する数日前、「広報いわき」3月号の特集記事で知った。以来、6年近く、たびたび利用している。いわきの近代史を調べるうえでは欠かせない電子資料の宝庫だ。
 
 あるとき(震災後、少したった初夏のころ)、どこかの新聞をクリックしたら、絵物語「月光仮面」に出合った。原作者はもちろん、川内康範。おや、いわきの子どもたちはオリジナルの「月光仮面」を読むことができたんだ――そのときは、そんな程度の感想で終わった。

「月光仮面」といっても、若い人はピンとこないだろう。今の「仮面ライダー」の元祖のようなものだ。日本のテレビ史上、最初のスーパーヒーローだった、といってもいい。

 テレビ草創期の昭和33(1958)年2月24日~同34年7月5日、TBSで放送され、子どもたちが熱狂した。私ら団塊の世代(昭和22~24年)も10歳前後だったので、夢中になって電気店のテレビを見た(阿武隈高地ではまだ家庭にまではテレビが普及していなかった)。
 
 が、仮面をかぶり、マント代わりに風呂敷を首に巻くようなことはしなかった。それをしたのは下の子たちだ。小学校に入るか入らないかの子が「月光仮面」になりきって、塀から飛び降りてけがをした。私の5歳下の弟がそうだった。1年余りで「中止」になったというから、親たちが騒いだのだろう。

 いわき地方のメディア史を調べているうちに、「月光仮面」の新聞連載を思い出した。そこからが長かった。何新聞で、いつごろの掲載だったか――「郷土資料のページ」を開いては空振り、開いては空振りを繰り返した。膨大なデータ量だから、「筋」をはずすといくら時間をかけても「答え」にはたどりつけない。

 もういいや、最後に収められている「夕刊ふくしま」でも見てみるか――。すると、最初のデータ(昭和34年6月6日付)に「月光仮面」の文字があった。これだ! 初回は同年6月11日で、翌35年2月5日まで、2回にわたって計182回掲載された。

 横題字の下に「三和新報 改題」と入ったものもある。元福島民報記者遠藤節(俳優中村敦夫の父親)が独立して発行した地域紙の一つだと知る。川内康範は終戦後、一時、いわきで暮らした。遠藤節とは「刎頸(ふんけい)の仲」だったという。
 
 連載を知らせる「社告」に掲載された「作者の言葉」――。「月光仮面は、テレビ、映画、漫画、小説にはなっていますが、新聞に絵物語として発表するのはこれがはじめてです これまでに幾度出すようにもいわれてきましたが、どうもその気になれなかったのは、やがて、“夕刊ふくしま”が出るであろうことを期待していたからです」
 
「私は、いまから約7年程前に平市や湯本町に住んでいたことがあり、海岸通りの各土地にはたくさんの知人がおります だから、『夕刊ふくしま』に私の作品を発表することは、第二の郷土である福島とのつながりをさらに深めることになると信じてます。少年少女諸君、どうぞ応援して下さい」。「月光仮面」にとっていわきは特別の地だった。

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