2017年2月5日日曜日

卵かけごはん

 中国から里帰りしたばかりの、お母さんと小4のお嬢ちゃんが訪ねてきた。震災後、シャプラニール=市民による海外協力の会がいわきで津波被災者・原発避難者のための交流スペース「ぶらっと」を開設・運営した。そこでボランティアとして知り合った仲間だ。お嬢ちゃんはまだ幼稚園児だった。そこへ偶然、「ぶらっと」の健康運動教室に関係する知人が加わった。
 いわきに戻ってすぐ、お嬢ちゃんは卵かけごはんを食べた。それを聞いた知人が、外国から帰ってきた親類が真っ先に食べたのもそれ、といった。男の私だと、まずカツオの刺し身を、となる。そこからの連想――。

 鶏卵とバナナ=写真=は物価の優等生、と昔から言われている。どちらもほぼ毎日、口にする。鶏卵は朝食に目玉焼きとして。バナナは、カミサンが刻んでヨーグルトに加えて食べた「余り」を。鶏卵は川内の「獏原人村」から週に一度宅配される。バナナはスーパーで買う。が、まれに行きつけの魚屋さんからも。

 写真のバナナは、1月29日の日曜日、魚屋さんで手に入れた。市場へ行くと、青果関係の知り合いから売れ残ったバナナを「買ってくれ」と頼まれることがあるそうだ。一房15本前後で300円。今度も原価の300円で手に入れた。小売店では4~5倍になることを知った。バナナの消費に異変が起きているのだろうか。
 
 バナナはさておき、卵かけごはんだ。画家岸田劉生(1891~1929年)の父親は岸田吟香(1833~1905年)といって、日本で最初の従軍記者だった。ほかに、宣教師にして医者のヘボンと一緒に和英辞典を編集したり、盲唖学校を創設したり、目薬の調剤・販売などをしたりした。日本で初めて卵かけごはんを食べた人間、ともいわれている。
 
 ここ10日ほど、卵かけごはんのことを思い出し、最初に吟香が食べたという証拠はどこにあるのだろうと気になっていたところに、卵かけごはんの話が出た。

 赤穂浪士の面々は討ち入り前、グループごとに分かれて食事をした。大石内蔵助らが食べたのは、蕎麦ではなく鴨入り卵かけごはんだったと、池波正太郎が書いている。うまそうな再現料理もネットに載る。「へぇー」とはどうもなれないでいる。どこかに卵かけごはんの歴史を調べた論文や文献はないものか。

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