2017年3月11日土曜日

原発震災七回忌

 きょう3月11日、朝5時。起きて茶の間の明かりをつけると、ちょうど家の真上をハクチョウが鳴きながら通り過ぎた。東北地方太平洋沖地震が発生した午後2時46分には、サイレンが鳴る。ハクチョウの声をサイレン代わりに、玄関を開けて東の海の方に向かって合掌し、新聞を取り込んだ。
 きょうは昼前、いわき市立草野心平記念文学館で会議がある。夜は友人の退職慰労会。震災前もそうだったように、午後2時過ぎにはこたつで昼寝をしているかもしれない。このごろは特に朝が早く、昼を過ぎると横になって休みたくなる。それもあって、早朝の静かな時間に大津波の犠牲者と関連死者を追悼することにした。

 暮らすということは、ある意味ルーチンであり、マンネリズムに染まることだ。でも、そうして穏やかに日々が繰り返されることが大切なのだと、あの日に思い知らされた。車のガソリンが半分になったら満タンにする――これもあれ以来、身についた習慣。
 
 きのう、久しぶりに孫の“学童保育”をした。車で5分ほどの長男宅へ出向き、小3と1年生の帰宅を待った。宿題をすませたあと、平市民運動場へ出かけた。サッカー教室の送迎を頼まれていたのだった。これも無事な日常だからこその一コマ。
 
 6年前、孫たちは4歳と2歳になるところだった。自宅で震度6弱を経験した。まだ恐怖とか不安とかを感じるところまではいかなかったろう。沿岸部では津波で多くの人が亡くなり、双葉郡からは原発事故で何万という人が避難を余儀なくされた。私たちも孫も一緒に一時避難した。

 去年(2016年)暮れ、孫を連れて薄磯の海へ出かけた=写真。引いては寄せる波と遊んでいる姿を見ながら、あのとき牙をむいた海が孫たちの「ふるさとの原風景」になるのだ、という感慨がよぎった。行こうと思えばいつでも行ける海がある。森がある。川がある。

 しかし、原発避難者はそうはいかない。そこに家があり、海があり、森があっても、人の立ち入りを拒む。当たり前が当たり前でなくなってしまった。
 
 大熊・双葉町と「帰還困難区域」を除いて避難指示が解除されるといっても、大半は根っこのない他郷で暮らす日々。「存在の耐えられない軽さ」どころか、「むなしさ」を感じている人が少なからずいる。そのことにも思いを致しながら、静かに、当たり前のようにきょうを過ごす。

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