2017年4月19日水曜日

ソメイヨシノの末路

 ここ数日は、用があって車で出かけるたびに“花見”をしている。目的地に着くまでのチラ見でしかないが。それでも感動があり、落胆がある。
 少し遠くの丘に見えるピンクはヤマザクラ。わが生活圏でいえば、草野心平記念文学館の背後の山から夏井川渓谷に至る右岸一帯、ここに展開されるピンクの点描画に引かれる。「いわきの奥吉野」だ。

 道路沿いにも桜の花が咲き誇る。こちらはほとんどが植樹されたソメイヨシノ。残念ながら、てんぐ巣病にかかっているものがある。ソメイヨシノは、葉より先に花が咲く。病気にかかった枝は花の前に葉を広げる。ピンクの花と緑の葉でまだらになっているものがあちこちにあった。

 ソメイヨシノは、ヤマザクラに比べると寿命が短いといわれる。夏井川渓谷の小集落・牛小川の県道沿いにも5本ほどソメイヨシノがある。老木で、ほとんどが空洞になっていたり、キヅタがからまったり、先端が枯れたりしている=写真。

 昔、だれかに聞いてかすかに覚えているのだが、それでもまったく自信がないのだが……。大正6(1917)年、磐越東線が全通する。ちょうど100年前だ。その記念に植えられたのではなかったか。80歳を超える地元の住人は「私が生まれる前からあった」という。

 ソメイヨシノは「戦勝記念」として植えられることが多かった。明治の日露戦争はざっと110年前だ。幹の太さからどうだろう。「戦勝」以外で記念植樹をするくらいのできごとは――105年前の「大正」改元、あるいは91年前の「昭和」改元があるが、あまりピンとこない。住人の“証言”を重ね合わせると、やはり磐東線の全通記念か、となる。

 天然のヤマザクラと違って、人間が生み出したソメイヨシノは人間の手が加わらないと生きていけない。5本のうち1本だけは手入れをされたので勢いを取り戻し、樹形はよろしくないがきれいな花をまとっていた。ソメイヨシノの末路はなんともわびしいものだ。

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