2017年6月17日土曜日

キャンパスのヒバリ

 その姿を見るたびに、「たれにもいわない」のではなく、だれかにそっと教えたくなる。ここにヒバリがいるよ――。
 木下夕爾の児童詩「ひばりのす」が頭をよぎる。<ひばりのす/みつけた/まだたれも知らない//あそこだ/水車小屋のわき/しんりょうしょの赤い屋根がみえる/あのむぎばたけだ//小さいたまごが/五つならんでる/まだたれにもいわない>

 週に一回、いわきニュータウンにある大学へ行く。駐車場から本館へと講堂のわきを通る。そばに、生け垣に囲まれた芝生がある。そこがヒバリの採餌場のひとつになっているようだ。新学期の授業が始まった4月中旬、初めて芝生の上を歩き回るヒバリを見た。以来、本館へ向かうたびにヒバリの姿を探す。

 おととい(6月15日)は、それまで1羽だったのが、3羽になっていた。ヒバリは産卵~ふ化~巣立ちまでおよそ3週間というから、増えたのは巣立って間もない幼鳥だろう。まだ警戒心が薄いのか、人間がぬっと現れても驚かない。カメラを向けたら、たまたまこちらを見た=写真。ぎょろっとした目、黄色っぽいくちばし、白いのど回り。いかにもこの世に生を受けたばかりの命、という印象だ。

 吉野せいの短編集『洟をたらした神』に「水石山」がある。ヒバリの話が出てくる。小麦畑の畝間にヒバリが営巣した。夫とせいはそこだけ小麦の刈り取りを遅らせる。キャンバスには麦畑はないから、生け垣のどこかに巣をつくったにちがいない。

 帰りにまた芝生を見ると、ちょうど1羽が青虫をくわえて飛び立つところだった。そばの桜の木の根元に降りたかと思うと、また飛んで車道に舞い降りる。“食事”にてこずっているのは幼鳥だからだろう。キャンパス生まれのヒバリなんて、そうない。

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