2017年7月28日金曜日

シュムシュ島慰霊

 おととい(7月26日)の拙ブログ「作詞家東條寿三郎」を読んだ同級生(いわき市平)から電話がかかってきた。
 用件は二つ。一つはブログに関することで、「東條寿三郎と父親が同級生だった。写真もある」という。同級生は四倉出身。貴重な情報提供だ。もう一つはその父親に関することで、「シュムシュ島(占守島)に行って来た。写真もいっぱい撮ったので、本にしたい」という。冊数は30~50。ネットを利用したオンデマンド印刷を勧める。

 シュムシュ島は千島列島最北端の島だ。目と鼻の先にカムチャツカ半島の先端がある。サハリン(樺太)と違って、簡単に行けるところではない。

「シュムシュ島」で検索すると、それらしい記事に出合った。今年(2017年)7月19日というから、ほぼ10日前のことだ。「占守島で日本人慰霊/12年ぶり、民間団体主催」という共同通信の記事に添えられた写真を拡大すると、同級生が写っていた=写真。

 ここではヨミウリオンラインの記事(けさは期限切れで記事が消えていた)を引用する。「72年前、終戦直後に侵攻してきたソ連軍と日本軍が激戦を交わした千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)。沖縄や南方に比べて遺骨収集が進んでおらず、歴史に埋もれた戦いとも言える。この戦いを後世に語り継ごうと民間団体が主催した慰霊ツアーだ」

 同級生の父親はたまたま生還した。だから、戦後、彼が生まれたわけだが、記事に同級生と父親のことが紹介されていた。「2006年に死去した父親が占守島で戦車砲撃手だった福島県いわき市の」同級生(記事では実名)は、「花々が咲く草原に残された1台の戦車を感慨深げに触り、『父が「真っ赤な砲弾がひゅんひゅん飛んでくるのを戦車の中から見たのが一番怖かった」と話してくれた』と語った」。

 去年(2016年)の8月初旬、私は別の同級生3人とサハリン(樺太)を旅した。終戦時、同級生の父親が樺太のある村の村長をしていた。次の7行は、そのときのブログの抜粋――。

「村の入り口で警察署長と村長の2人で白旗をかかげて迎える手はずになっていたのに、署長は『自宅で謹慎する』と言って来なかった」。で、同級生の父親(村長)だけが北緯50度の国境線を超えて侵攻して来たソ連軍を迎えた。

 昭和20(1945)年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄してソ連軍が対日参戦をした。満州ばかりか、北緯50度で北はソ連領、南は日本領に分かれていた樺太でも、ソ連の侵攻作戦が展開された。同15日に日本がポツダム宣言を受諾しても、北海道占領をもくろむソ連の侵攻はやまない。

 シュムシュ島の戦いもポツダム宣言受諾後の8月18日未明に始まった。日ソ双方に犠牲者が出たが、この戦いがソ連の北海道占領を防いだともいわれる。終戦前後のどさくさに乗じて樺太を、千島列島を急襲したソ連軍の様子が、同級生を介して少しずつ頭の中に入ってきた。

 きのう夕方、総合図書館へ行って浅田次郎の『終わらざる夏 上・下』(集英社)を借りる。シュムシュ島の戦いに題材を取った長編小説だという。一気に読むつもりでいる。

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