2017年7月4日火曜日

アトリウムの雨粒

 草野心平記念文学館へ行くと、決まって正面のアトリウムロビーから分厚いガラス壁面越しに二ツ箭山を眺める。
 土曜日(7月1日)、昼。少し雨が降りはじめたときだった。ガラス壁面に雨粒の“点描画”ができていた=写真(実際は透明に近い、フラッシュでこうなった)。垂直に長く短く、斜めに短く。なにかの絵で見た、地上に降り注ぐ大流星雨のような……。雨粒は芥子粒大、それより小さいものもある。大小の粒々がばらばらな間隔で直線をつくっている。つるつるの壁面をキャンバスにした雨と重力のアート――。

 昨年(2016年)秋、同じ壁面を利用して、人間がちぎれた曲線の作品を描いた。平・三町目の「もりたか屋」を主会場に、美術展「いわきまちなかアート玄玄天」が開かれた。芸術文化交流館アリオスや心平記念文学館にも作品が展示された。

 文学館のガラス壁面には、心平の詩「猛烈な天」3連11行が記されている。その下の、人間の背丈に合わせたところに、ちぎれた白い曲線が無数に描かれた。作者は浅井真理子さん、タイトルは「somewhere not here」(「ここではないどこか」)だった。

「建物のガラス窓の外に見える光や影、人々の動き、刻々と変化する事象の一瞬を追い、内と外の間の被膜をひっかくように描く架空の地図」だそうで、「光の動きや窓やドアの動きと共に変身するこの作品を、目をこらさなければ見過ごしてしまうことを、あなたの視線で見つけてください」とあった。

 なるほど。美術家と自然との共作だ。雨粒の点描画も同じように目を凝らさないと見過ごしていた。こちらは、見る人間と自然との共作。
 
 芸術は自然を模倣する。あるいはその逆に、自然は芸術を模倣する、と言われる。どちらにせよ、自然はアートの源泉だ。雲がそう(石川啄木は「雲は天才である」といった)、秋の紅葉がそう、クモの巣やハチの巣が、虹がそう。朝焼けも夕焼けもそうだろう。大事なのはセンス・オブ・ワンダー(自然の不思議に目を見張る感性)。けさ(7月4日)は前線の影響で雨のほかに風も吹いている。アトリウムの雨粒はどんな抽象画を描いていることだろう。

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