2017年7月5日水曜日

地上の安藤信正像

 朝ドラ「ひよっこ」と同じ時代の、平の街の資料があれば――。ゆうべ(7月4日)、故義伯父の家にある自分の本棚をあさっていたら、茶色くくすんだ封筒から松ケ岡公園の安藤信正像の写真が出てきた=写真。
 信正像の制作者は彫刻家本多朝忠(ともただ)さん(1895~1986年)。大正11(1922)年に建てられた信正像(これも本多さんが制作)が太平洋戦争で供出され、戦後、昭和37(1962)年になって2代目が再建された。2代目の建立・除幕式の写真のようだった。

 義父や別の義伯父が本多さんと交流していたこともあり、結婚して子どもが生まれてからは、ときどき家族で高台の洋館を訪ねた。プロレスや俳句を好む「飄逸(ひょういつ)の人」で、年齢を聞いてもずっと「69歳」で通した。

本多さんから“形見分け”としていただいたものがある。信正像の写真もそのひとつだったようだ。絵はがきを含めて7枚あった。
 
 台座に取り付けられる直前の信正像のそばに、ベレー帽・半そで姿の本多さんが立っている。その比較でいえば、銅像は人間の2倍の高さ、体積は4倍ある。大きい!

 2年前の秋、四倉で昭和11年に撮影された16ミリフィルムのデジタル版の試写会が開かれた。初代信正像が映っていた。その後、試写会を主催した知人から信正の初代銅像の写真と、新聞記事(昭和36年4月8日付いわき民報)のコピーが届いた。

「平城主安藤信正公の銅像再現は平市八幡小路、彫刻家本多朝忠氏の手で進められ、このほど高さ9・1メートルという大原形(粘土像)ができあがった。引き続き石膏取りに入り6月ごろに終え銅像を鋳造する予定だが、再現費300万円の寄付金の集まりが悪く、銅像完成の成否は拠金如何にかかっているといわれている」

 なんとかかんとか再現がなったのは、平市議会で補正予算が可決されたからだ(いわき市の公式フェイスブックによる)。昭和37年7月22日に除幕式が行われたことは、けさ、市立図書館のホームページで知った(いわき民報の記事による)。銅像が建立されるまでの紆余曲折、つまりは「人間ドラマ」が見えるようだった。

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