2017年8月15日火曜日

爆音聴集壕

 いわき地域学會が『いわきの地誌』を発行してからおよそ8カ月。学術系の硬い本ながら、地元2書店での売れ行きも思った以上で、8月に入ってようやく“借金”が返済できた。
 “借金”といっても内部的なものだ。印刷会社に支払う時期と本の売上代金が入ってくる時期とには、2~3カ月のずれがある。代金がやがて入ってくるという想定で執行前の予算を支払いに一時的に流用した。その流用がこの8月で解消された。
 
 発行部数800部、印刷代金150万円。原価は1冊1875円だ。これを、市民が手に入れやすいように1500円(税抜き)で頒布した。発行のために積み立てた自己資金、学校などへの寄贈分を除いて、400冊を売らないと印刷会社に未払いが発生する。
 
 で、東邦銀行教育・文化財団から20万円、いわき市文化振興基金から10万円の助成を得た。残り30万円、200冊は編集委員が手分けして頒布し、書店にも販売をお願いした。この半年の間にヤマニ書房本店、鹿島ブックセンターから何度か追加注文があり、その都度、代金を回収したこともあって、思ったより早く目標が達成できた。
 
 肩の荷が下りた今は、純粋に『いわきの地誌』を読んで楽しんでいる。きょう(8月15日)は終戦記念日。『地誌』に載る戦争遺産の話を紹介したい。
 
 JR常磐線湯本駅の真向かいに御幸山(みゆきやま)公園がある。御幸山は「見沖山」(みおきやま)ともいい、山から小名浜沖の太平洋が一望できる。その山に先の大戦下、敵機の「爆音聴集壕」(飛行機の爆音を聞くための、すり鉢状になったレンガ造りの穴)と監視所が設けられていたという=写真。
 
 地元研究者によれば、①軍の指示で湯本町役場が監視所の任に当たった②町は地元の青年らを監視の仕事に就かせた③湯本町には炭鉱があり、爆撃の恐れがあったため、監視所の役割は大きかった④食事は近くの温泉旅館が交代で担当し、弁当を監視所に届けた――。
 
 さまざまな戦争遺産がある。『地誌』には載っていないが、太平洋戦争末期、航空機の燃料にするため、松根油とは別に、松の木から松脂(まつやに)を採集した。その傷跡が「ハート形」あるいは「キツネ顔」となって、夏井川渓谷の赤松に残る。これも戦争遺産にはちがいない。でも、「爆音聴集壕」は初耳だった。まだまだ知らないいわきがある。

「遺産の地理学」が脚光を浴びているという。ミサイルだなんだと、急にきなくさくなった今、新たな戦争遺産が加わるような事態だけはごめんこうむりたい。

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