2017年8月31日木曜日

十字架は「光の鳥」(下)

 元・平聖ミカエル会衆の外壁に、鳥型の十字架を配した小屋風の出っ張りがある。十字架は二重に区切られた色違いのステンドグラスでできている。長方形のほかに、少しいびつで小さな方形が18個。外側の黄色い長方形は、内側では黄金色に見えたのではないか。 
 40年近く前の子どもの卒園式の写真を見てわかったのだが、この出っ張りの十字架がそのまま内部の礼拝堂の十字架になっていた=写真(写っている男性は園長さん)。外光がステンドグラスを通じて「輝く十字架」になる仕掛けだ。ふだんは厨子(ずし)のように板の引き戸で仕切られているのでわからなかった。
 
 この建物を設計したのはフランク・ロイド・ライトの弟子のアントニン・レーモンド(1888~1976年)、十字架その他の装飾を手がけたのは奥さんのノエミ(1889~1980年)ではないか――そう直感したのは、この十字架のかたちによる。

 アントニンが設計した東京女子大礼拝堂の祭壇、カトリック新発田教会や札幌聖ミカエル教会のステンドグラス(和紙の切り絵が張られている)、聖アンセルモ教会(カトリック目黒教会)の壁画レリーフなどは、ノエミがデザインしたという。かたちが斬新で、独創的だ。

 平聖ミカエル会衆の鳥型の十字架、しかも多彩なステンドグラスでできた「光の鳥」は、新発田教会などのデザインと重ね合わせてみると、いかにもノエミっぽい自由さがある。で、この十字架から、装飾・ノエミ→建築・アントニン、という逆の連想がはたらいた。

 幼稚園はもともと少人数で運営された。卒園児は、長男のときは18人だった。少子化の影響なのか、10年くらい前に閉鎖された。日本聖公会東北教区によれば、礼拝堂は平成27(2015)年3月28日、54年の歴史を閉じた。こちらも信者が少なかったのだろう

 きのう(8月30日)のブログ=フェイスブックへのコメントで、説教台の十字架が同じデザインだということ、その説教台は小名浜聖テモテ教会に移されたこともわかった。説教台の装飾も同じ鳥型の十字架とくれば、いよいよ平聖ミカエル会衆の装飾はノエミによるもの、と確信した。

 ついでながら、日本家屋を熟知する建築家は太平洋戦争で帰米したあと、軍の要請で油脂焼夷弾の爆撃実験のため、砂漠に実物そっくりの日本の下町の家並みをつくらされたという。結果として東京などの空襲の遠因をつくったと、レーモンドの下で働いた日本人建築家は記す。
 
 ついでのついでに、このブログの参考資料(いわき市立図書館所蔵の図書)を列記する。ただし、総合図書館の本から平聖ミカエル会衆がレーモンドの作品である証拠は得られなかった。小名浜の本はまだ読んでいない。いずれも21世紀に入ってから出版された。夫妻の再評価が進んでいるのだろう。

【総合図書館】①『自伝 アントニン・レーモンド』(鹿島出版会、2007年)②アントニン・レーモンド著/三沢浩訳『私と日本建築』(同、2003年第11刷)③三沢浩著『A・レーモンドの建築詳細』(彰国社、2005年)④神奈川県立近代美術館編『建築と暮らしの手作りモダン アントニン&ノエミ・レーモンド』日本展図録(2007年)
【小名浜図書館】三沢浩著『おしゃれな住まい方――レーモンド夫妻のシンプルライフ』(王国社、2012年)

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