2017年9月23日土曜日

昭和5年のヨーヨー

 また吉野せいか、といわれそうだが――。今年(2017年)は作家吉野せい(1899~1977年)の没後40年、吉野せい賞40周年の節目の年だ。それを記念するイベントがいくつか行われる。すでに終わったものもある。
 9月9日にはいわき芸術文化交流館アリオス音楽小ホールで、朗読と邦楽器による「吉野せいの世界」が開かれた。10月7日にはいわき市立草野心平記念文学館で「没後40年記念 吉野せい展」が開幕し、同14日にはいわきPITで、せい原作「洟(はな)をたらした神」の上映会&トークショーが開かれる。

 個人的には、上映会の1週間後(10月21日)、いわきアフターサンシャイン博実行委主催のいわきサンシャイン学で「吉野せい~『洟をたらした神』の世界~」と題して話さないといけない。

 これまで話してきたデータ(レジュメ)はある。それを使えば簡単だが、たぶん前に話を聴いている人が聴きに来る。同じ話はできない。切り口を変えて、当時の時代・社会・暮らし・遊びから、登場人物と作者の心に迫ってみることにした。

 せいの代表的な作品ともいえる「洟をたらした神」は、数え年6歳の「ノボル」が「小松の中枝」にできたこぶを利用してヨーヨーをつくる話だ。

 昭和初期のヨーヨー状況を調べることにした。いわき総合図書館から児童向けのヨーヨーの本を、ヨーヨーの話が出てくるというので、ティーンズ向けの小説『この世界の片隅に』(原作はマンガ)を借りてきた=写真。資料としてはそれくらいしかない。偶然だが、ノボルと『この世界の片隅に』の主人公すずは、同じ大正14年生まれだ。

 ヨーヨーは昭和8(1933)年に大流行する。『この世界の片隅に』も、史実を踏まえた書き方をしている。冒頭、すずが海苔を届けに行く途中、帰りのおみやげになにがいいか思いめぐらす場面がある。「チョコレート、あんぱん、キャラメル……いや、おもちゃのほうがええじゃろか。すみちゃん、ヨーヨーほしがってたし……」「「ヨーヨーは十銭……」

 ところが、ノボルの物語は「昭和5年夏のこと」だ。「ノボルは重たい口で私に二銭のかねをせがんだ。眉(まゆ)根をよせた母の顔には半ば絶望の上眼をつかいながら、ヨーヨーを買いたいという。一斉にはやり出した(以下略)」のだった。昭和8年で10銭、その3年前は2銭――背景には昭和恐慌(昭和5~6年)=デフレ不況があった? それで遊具も値下がりした?

 ヨーヨーは、既に江戸時代には中国から入っていた。はやりすたりを繰り返しながらも、子どもの遊具として定着していた。ノボルの住む好間村では、昭和8年の大ブームとは無関係に、同5年に小ブームがおきていたことになる。

 男の子は、私らもそうだったが、高度経済成長時代の前までは小刀をポケットにしのばせて歩いていた。それで山に生えている木や竹を切って、竹とんぼやこけし、刀をつくった。

「かぞえ年六つ」のこわっぱが、買ってもらえない以上は自分で作るしかないと決めて、ヨーヨーづくりに挑戦する。糸を結んで投げおろしたら、巻き戻されて上に戻ってくる。そのためには、溝も軸もバランスよく削らないといけない。

ヨーヨーをつくりあげたノボルのウデの冴えに、せいは「カミワザ」を感じた。「洟をたらした神」はそうして生まれた。作品には描かれていない時代背景を添えれば、ノボルのすごさがあらためて浮き彫りになる。そんな気がしてきた。

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