2017年10月12日木曜日

吉野せい没後40年展

 いわきを代表する作家は、短編集『洟をたらした神』で知られる吉野せい(1899~1977年)。今年(2017年)は没後40年だ。亡くなった翌年(昭和53年)に創設された「吉野せい賞」も今年で40回目になる。
 節目の年を記念したイベントがいくつかある。9月には「朗読と邦楽器による『吉野せいの世界』」が開かれた。今週は土曜日(10月14日)、神山征二郎監督の「洟をたらした神」上映会&トークショーが開かれる。草野心平記念文学館では先週の土曜日(10月7日)、「没後40年記念吉野せい展」が始まった。

 トークショーに呼ばれている。その前にと、きのう(10月12日)、「没後40年展」を見てきた。旧知の学芸員が解説してくれた。文学館では18年前の平成11(1999)年秋、「生誕百年記念―私は百姓女―吉野せい展」が開かれている。

 結局は図録が頼りだ。「生誕百年記念展」は50ページほどだが、「没後40年展」は16ページと少ない。小名浜で育ったせいの「誕生・文学に傾倒した教師時代」(2~3ページ=写真)の写真のうち、3枚は初見だった。

 そのキャプション(えとき)にこうあった。①「若松(旧姓)せい生家 いわき市小名浜下町 昭和30年代」②「せいの祖父若松誠三郎の顕彰碑『北辰真武一刀流師範/若松誠三郎源尚之翁碑』地福院常福寺 いわき市小名浜 戊辰戦争の折、誠三郎は、目明役だった曽祖父鉄五郎とともに活躍した」③「若松(旧姓)せいと兄真琴 大正10年」――。
 
 新藤謙『土と修羅 三野混沌と吉野せい』(たいまつ社、1978年)によると、曽祖父は「目明し鉄五郎」と呼ばれた侠客肌の男で、官軍の奥州征討の際、道案内を務めた。祖父・誠三郎も同行した。誠三郎は剣術を学び、のちに道場を開いている。門弟は数百人を数えたという。来年は戊辰戦争150年の節目の年。鉄五郎・誠三郎親子にも光が当てられるといい。
 
 せいの思想形成に大きな影響を与えたのは鹿島村(当時)の八代義定――「没後40年展」でそのことをあらためて胸に刻んだ。

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