2017年10月25日水曜日

スウェーデンからの訃報

 8年前、還暦を記念して仲間で“海外修学旅行”をしよう、ということになった。最初に、スウェーデンに住む同級生の病気見舞いを兼ねて、北欧3国を旅した。6人プラス奥方1人で出かけた。
 昭和39(1964)年4月、平高専(現福島高専)に入学した。機械工学科40人の出身地は、福島、梁川、郡山、会津若松、田村郡、原町、相馬、平、磐城など福島県内一円に及ぶ。岩手県の人間もいた。地元いわき(合併したのは3年生のとき)の人間を除いて寮生活を共にした。

 15歳の出会いから半世紀余。きのう(10月24日)、仲間を経由してスウェーデンから同級生の訃報が届いた。8年前に自宅を訪ねたとき、薬の本作用で病気は治ったが、副作用が末梢神経に出た、ときどき痛みに襲われる、といっていた。死を知らせる家族からのメールも、痛みとの闘いが続いていたことをうかがわせた。

 同級生の住まいはストックホルムから少し北へ行ったところにある。集合住宅の4階で、南面する庭にはセイヨウトチノキが植わっていた=写真。大きな葉の茂りを窓から見下ろした。セイヨウトチノキは、流行歌の「カスバの女」にうたわれる♪花はマロニエ シャンゼリゼ……のマロニエのことだ。

 ノルウェーのベルゲンでは、日本人ガイドから「街路樹はマロニエが多い」という話を聞いた。ドイツ語では、マロニエは「カスタニエン」。フランクルの『夜と霧』に、強制収容所のバラック病舎の窓から見えるカスタニエンの木に永遠の命を見いだして死んだ若い女性の話が出てくる。

「あそこにある樹はひとりぼっちの私のただ一つのお友達ですの」「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる――私は――ここに――いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ……」(霜山徳爾訳、みすず書房)
 
 同級生は自宅の窓から年輪を八つ加えたマロニエを眺めながら、何を思ったか。最後に脳裏に浮かんだのはふるさと会津の山河か、「永遠のいのち」か。いやいや、奥方と3人の子どもに看取られて、「これまでありがとう」と言って旅立ったにちがいない。
 
 8年前、夏井川渓谷の隠居でミニ同級会を開き、スウェーデンに国際電話をかけたのが、“海外修学旅行”の始まりだった。それぞれが「今生の別れ」のつもりで会いに行った。喪失感とともに、痛みから解放されて安らぐ顔が思い浮かぶ。いつか隠居で「偲ぶ会」を開かねば――。

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