2017年12月14日木曜日

久之浜張子

 日曜日(12月10日)、いわき市暮らしの伝承郷にカミサンを送って行った。会議があるという。ついでに65歳以上無料の特典で、土曜日に始まったばかりの企画展「久之浜張子の世界」を見た=写真(リーフレット)。来年(2018年)1月28日まで。
 久之浜張子は郷土玩具だ。昭和46(1971)年4月、新聞記者になった。紙面を通して作品と製作者の草野源吉さん(1898~1976年)を知った。現物はしかし、見たことがあるようなないような……。草野さんには後継者がいなかった。亡くなると、久之浜張子の情報も途絶えた。ほぼ40年ぶりに記憶がよみがえった。
 
 カミサンを迎えに行ったとき、展示担当者が会議参加者に説明するというので、また見た。「久之浜張子」は、もともとは江戸時代、磐城平城下でつくられていたという。宝暦11(1761)年には張子づくりを生業とする家が6軒あった(「磐城枕友」)。草野さんの父親の代になって、平から久之浜へ移住した。「久之浜張子」は「平張子」だったのだ。
 
 達磨(だるま)、熊乗り金太郎、象乗り童子、亀乗り浦島、恵比寿・大黒天、虎、天狗面、その他。達磨は、眉毛が鶴、ひげが亀を表しているそうだ。亀や象は会津の赤べこと同じ首振り式で、乗っている童子たちはアンバランスなほど小さい。「へたうま」が久之浜張子の特徴らしい。
 
 子どものおもちゃだけではない。「山の神」でもある天狗の面は、特に漁業関係者が買い求めた。沿岸漁民は山の位置や生えている大木などを目印にして船の航行を決めた。海上安全を願って山の神を篤く信仰したという。
 
 リーフレットには、飯野八幡宮、平馬目の八幡神社、金刀比羅神社、温泉神社、江名の諏訪神社、四倉の初午(はつうま)、遠野の馬市、勿来の窪田や隣県の北茨城市大津、南相馬市の小高神社などの祭礼市、平駅(現いわき駅)前や郡山駅前の土産物屋でも販売された、とある。往時の盛業ぶりがうかがえる。

 この企画展にからんで、久之浜では草野さんのほかに、達磨をつくって神社の縁日などで売っていた家のあることがわかった。残念ながら、東日本大震災の津波で家も木型も流された。久之浜張子は草野さんの死をもって伝統が絶えたと思われていたが、達磨は残っていたのだ。
 
 聴き取り調査が終わったら、「もう一つの久之浜張子」として“速報”を会場に掲示してはどうか。企画展の内容に厚みが増すはずだ。

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