2018年3月2日金曜日

文芸誌「風舎」第12号


「いわきの総合文藝誌」と銘打った同人誌「風舎」第12号(3月1日発行)=写真=を手に取りながら、いささか複雑な思いになった。
 いわきの文学賞「吉野せい賞」の第40回受賞全6作品が載っている。去年(2017年)までは、トップの作品がいわきの総合雑誌「うえいぶ」に掲載された。その「うえいぶ」が50号をもって休刊した。42号から編集を担当した。休刊の編集後記を書いて1年。受賞作品をこの手で扱いたかったという寂しさがよぎる。

 2011年発行の「風舎」第6号から、「うえいぶ」掲載作品以外の受賞作品が載るようになった。2008年から吉野せい賞作品の選考にかかわっている。1編しか活字にならないのは残念――そう思っていたので、全作品が活字になるのは喜ばしいことだった。なかでも印象に残っているのが、青少年特別賞の「銀色のとびらを越えて」。作者はそのとき中1女子だった。今は大学生か。

 さて今度の「風舎」だが、受賞作品に先立って同人の作品が載る。わたなべえいこさんの詩集「ここは海だったんですよ」10編(第70回福島県文学賞詩の部正賞)が巻頭を飾った。

 表題と同じタイトルの作品の一部。「ここは海だったんですよ/だから/私が海の中に住んでいるのも/自然なことなのです/生活用品にも/なにひとつ不自由さは感じていません/すべてそっくり海に沈んだだけですもの/海底には/津波の影響をうけた住宅が/逆さになってひとつの町ができ/遊園地は/行方不明の子供達が遊び/お父さんは/ネクタイをして泳いで出社/お母さんの捌いた魚が/まな板の上にのっている」

 沿岸部に住んでいて津波で亡くなり、行方不明になった人々への痛切な思いが、しかし綿あめのようにふんわりとつづられる。それが、かえって深い悲しみを誘う。

 もう1編。「夢」には、私小説ならぬ“私詩”的なものを感じた。「心に境界線が引かれ/会話も遠のいていた」義兄だったが、一周忌の朝、夢に笑顔であらわれた。それで「それまでの葛藤が消え」た。作者も義兄も知っている。“私詩”と感じたゆえんだ。後味がよかった。

 実は先日、わたなべさんからこの「風舎」の恵贈にあずかった。で、書店で販売しているのを確かめて、感想をつづりたくなったのだ。個人的にはわが青春と交差する、せい賞準賞のノンフィクション作品「熱源~いわき市民ギャラリーとその時代」をぜひ読んでほしいと思う。

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