2018年4月27日金曜日

いわきとガンダム

 週末の夜、平の街で30~40代の若い仲間と飲んだ。なにがきっかけだったか、アニメの「機動戦士ガンダム」の話で盛り上がった。とはいえ、私はほぼ「かやの外」だったが。
 私が子どものころ、ヒーローといえば、漫画雑誌に連載された「月光仮面」や「赤胴鈴之助」。「月光仮面」はテレビドラマ化され、「赤胴鈴之助」もラジオドラマや映画になった。
 
「ガンダム」は、息子が子どもののころ、放送が始まった。息子はすぐ夢中になった。ガンダムのプラモデル、いわゆる「ガンプラ」が今も家に残る。
 
 まだアニメがセル画(セルロイドの透明シートに描かれた絵)でつくられていたころ――。平にガンダムのセル画を描く、下請け工房のようなところがあったそうだ。飲み仲間の1人が高校生のとき、ごみとしてセル画が出されていた。「もったいなかったなぁ」。もう1人は同じ理由かどうかはわからないが、「いわきをガンダムのまちにしたい」という。
 
 それなら、まず「いわきを月光仮面のまちに」だな――。若い仲間の話に耳を傾けながら思ったものだ。
 
 元福島民報記者遠藤節(俳優中村敦夫の父親)が独立して、平で「三和新報」、のちに改題して「夕刊ふくしま」を発行した。「月光仮面の」作者・川内康範(潔士)は終戦後、一時、いわきで暮らした。遠藤とは「刎頸(ふんけい)の仲」になった。その関係で「月光仮面」が広く知られるようになると、遠藤を応援する意味合いもあってか、昭和34(1959)年6月から「夕刊ふくしま」に絵物語「月光仮面」を連載する。
 
 連載を告げる新聞社告に作者の言葉が載る。「私は、いまから約7年程前に平市や湯本町に住んでいたことがあり、海岸通りの各土地にはたくさんの知人がおります だから、『夕刊ふくしま』に私の作品を発表することは、第二の郷土である福島とのつながりをさらに深めることになると信じてます。少年少女諸君、どうぞ応援して下さい」
 
 「いわきを月光仮面のまちに」という理由がここにある。しかし、若い人は「月光仮面、なにそれ?」だろうな。
 
 ガンダムの話に戻る。飲んだ翌日は日曜日。上の孫(小5)の誕生祝いの買い物に付き合った。そのために、アルコールは控えめにした。目当ての品はガンプラ=写真。親子二代のガンダムマニアだ。前夜のガンダム談議と、翌日の孫のガンプラ買い。世代を超えてガンダムは支持されている。月光仮面は、そうはならなかった。

0 件のコメント: