2018年5月1日火曜日

NHKスペシャル「大江戸」

 日曜日(4月29日)夜のNHKスペシャル、新シリーズ「大江戸」をワクワクしながら見た。期待を裏切らなかった。
 徳川家康が幕府を開いた、6万人ほどの小さな町・江戸は、およそ100年後には世界最多の100万人の大都市に成長する。その秘密は? らせん状に拡大する濠(ほり=堀)、傾斜を利用した上水道。つまり、水の流れと水上交通を計算に入れた都市計画にあった。

 100万人の胃袋を満たすには、馬による運搬だけでは間に合わない。馬が100キロ限度なら、船はその10倍、1000キロの荷物を運ぶことができる=写真。そのために大江戸では水上交通が発達した。

 いや、江戸だけではない。先日、磐城平城下の町と外海を結ぶ水上交通システムの可能性について触れた。Nスペを見ながら、可能性が“確信”に変わった。それがなかったら、武士と町民の胃袋を満たせなかったろう。

 江戸時代中期に磐城平藩7万石を治めた内藤家の文書(もんじょ)に「諸品覚書」というものがあるそうだ。それを紹介した研究者によると、正徳元(1711)年の平城下の人口は武士・町人・寺社関係含めて8000人余だった。大目にみても1万未満の小都市だ。

 将軍おひざ元の江戸だろうと、譜代の小さな地方都市だろうと、物資の流通・調達が円滑にいかなければ、暮らしは成り立たない。1万未満とはいえ、人間が密集している城下町だ、水陸の輸送網があったからこそ、生活物資がそろい、婦人はおしゃれもできた。子どもは遊ぶこともできた。

 歴史研究とは無縁だが、平城下にも水上交通システムが形成されていたという“仮説”に立って、これから資料を見ていけば、いつかは“解”がみえてくるはず――Nスペの「大江戸」を見ながら、元気がわいてきた。

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