2018年5月18日金曜日

「ばっぱの家」の跡の今

 山の中に「ばっぱの家」があった。半世紀ほど前に家が解体され、跡地に杉苗が植えられた。今は放置された小さな杉林にすぎない=写真。
 
 5年前(2013年)のゴールデンウイークに、実家へ帰る途中、「ばっぱの家」の跡を訪ねた。林の後ろの道のそばに黒いフレコンバッグが仮置きされていた。沢の向かいの家では除染作業の真っ最中だった。今年(2018年)、またゴールデンウイークに寄ってみた。フレコンバッグは消えていた。
 
 そこは、阿武隈高地の中央部、田村市常葉町と都路町にまたがる鎌倉岳(967メートル)の南東山麓。国道288号からは200メートルほど奥まったところにある隠居だ。
 
 母の両親が住んでいた。祖父の記憶はしかし、病んで寝ている姿しかない。小学校の春・夏・冬休みになると、常葉町からバスで出かけた。祖父は間もなく死んだから、祖母にくっついていろいろ動き回った。で、どうしてもそこは「ばっぱの家」になってしまう。

 かやぶきの一軒家で、夜はいろりのそばにランプがつるされた。向かい山からはキツネの鳴き声。庭にある外風呂にはちょうちんをかざして入った。寝床にはあんどん。家のわきには池があった。三角の樋から沢水がとぎれることなく注いでいた。3、4歳のころ、囲炉裏から立ち上がった瞬間にほどけていた浴衣のひもを踏んで転び、左手をやけどしたこともある。

 今風にいえば、毎日がキャンドルナイトでスローライフ。いいことも悪いことも含めて、黄金のような記憶が詰まっている場所だ。

 祖母がふもとの別の集落にある息子の家に移ってからは、隠居の下の段々畑が田んぼに替わった。今はどうか。今年見たら、5月だというのに放置状態だった。過疎・高齢化が進んでいるところへ、原発事故が追い打ちをかけた。杉林も田んぼもこのまま荒れて寂しい自然に帰るだけなのだろうか。
 
 そうだとしても、生きている限りは崩れ、滅びる「ばっぱの家」の跡を見続けようと思う。

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