2018年5月22日火曜日

「磐城平城・六間門の戦い」

 いわきでは「戊辰戦争150年」を振り返る市民講座がめじろ押しだ。
 講師の一人がいわき地域学會の夏井芳徳副代表幹事。小説で福島県文学賞正賞を受賞した文学的資質を生かして、戦いを「人間のドラマ」のレベルでわかりやすく読み解くので人気がある。
 
 いわき地域学會の今年度(2018年度)最初の市民講座が土曜日(5月19日)に開かれた=写真。夏井副代表幹事が、『磐城平藩戊辰戦争日録』(『いわき市史 第9巻 近世資料』)『外城番兵一番隊戦状』(『薩藩出軍戦状』)などの史料に基づいて、戊辰戦争で平城が落城する直前の、旧暦7月13日の「磐城平城・六間門の戦い」を解説した。およそ95人が受講した。
 
 東軍・西軍が各所で一進一退の戦いを繰り広げる。その戦いのひとつが、城の西方、好間の「枡形(ますがた)門」~久保町~八幡小路と、大手門(高麗橋=幽霊橋)をはさんだ六間門の攻防だ。

 カミサンは八幡小路や城のある台地のふもと・久保町で生まれ育った。曾祖母から聞かされた戊辰戦争の話をたまにする。あたり一帯が戦場になった。先祖は「ちょうどお昼ご飯が焚きあがったばかりで、釜を抱いて平窪の方へ避難した」そうだ。
 
 曾祖母は慶応3(1867)年生まれ。赤ん坊だったから、あとで親から「御一新」のときの戦争の様子を聞かされたわけだ。

「柳川藩の一手、大手、六間門に先登し、久保町より攻め込める一手と合し、八幡社前に大砲を控え、砲発、頻(しき)りなりしも……」(『磐城平藩戊辰戦争日録』)

あるいは「神谷外記、久保町枡形御門へ隊長にて出張致し、(中略)長橋より向新町、御厩村の辺(あたり)迄、平一面、敵、雲霞(うんか)の如く攻寄候……」(『神谷外記書き上げ』)

といった状況では、庶民は避難するしかない。この講座で「ひいばあさんの話」の背景がよくわかった。

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