2018年6月14日木曜日

来年は真尾悦子生誕100年

 吉野せい(1899~1977年)の作品集『洟をたらした神』には、「ダムのかげ」「いもどろぼう」など、炭鉱作業員を扱ったものがある。
 私は炭鉱の仕事や暮らしを知らない。作品の“注釈づくり”をするには地底の世界になじまねば――という思いで、せいと交流のあった作家真尾悦子(1919~2013年)の『地底の青春 女あと山の記』(筑摩書房、1979年)=写真=を繰り返し読んでいる。
 
 同書は炭鉱の“女あと山”(地底から石炭を運び出す女性労働者)を取材したノンフィクション作品だ。せいが夫と開拓に血汗を流したいわき市好間町・菊竹山とは、好間川や国道49号、市街地をはさんだ対岸、直線でざっと2キロ先の丘に地底に下りて働く暮らしがあった。悦子はそこへ通って“女あと山”の話を聴いた。

「好んで坑内なンどに入ったわけではねえよ。親にドシナラレて(怒鳴られて)、何とも仕様なくて入ったんだけンど、そこはソレ、同じ人間のあつばりよ。わりイことばっかもありゃしめえし――」

 戦後の昭和24(1949)年3月から同37年11月までの13年余、一家4人で現いわき市平に住んだとはいえ、悦子は東京生まれだ。ここまで「いわき語」を文字化できる筆力に恐れ入った。これから「いわき語」を研究する人間には、この『地底の青春』が格好の教材になるのではないか。ちなみに、「あつばり」は「集まり」のことだ。

 平成16(2004)年夏、いわき市立草野心平記念文学館で「真尾倍弘(ますひろ)・悦子展 たった二人の工場から」が開かれた。夫の倍弘(1918~2001年)は詩人。平時代には夫婦二人で印刷工場を営み、いわき地方の出版・文化活動に貢献した。それを振り返る企画展でもあった。

『地底の青春』に書かれている悦子の略歴をながめていたら……。来年(2019年)は悦子生誕100年ではないか。倍弘は悦子より1歳年上だから、今年が生誕100年だ。

 先の企画展から14年。倍弘は企画展の前に亡くなり、悦子は東日本大震災の2年後にこの世を去った。

 去年、「吉野せい 没後40年展」が開かれた。平成11(1999)年の「生誕百年記念―私は百姓女―吉野せい」展に続く企画だ。倍弘・悦子についても続・企画展、それが無理ならスポット展示くらいは考えてもいいのではないか。

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