2018年6月27日水曜日

47年前のテレビ番組「老人の山」

「<昨日>の新聞はすこしも面白くないが/三十年前の新聞なら読物になる」(田村隆一)。この詩句を痛感する日々だ。古新聞をネタに書くことが増えた。書きたい材料が次々に現れる。“古新聞シリーズ”とでも開き直るか――。 
 いわきの作家、故吉野せいの短編に「凍(し)ばれる」がある。せいの夫・吉野義也(三野混沌)の詩友、猪狩満直が北海道へ移住したあと、ハガキをよこす。その便りの中に「凍ばれる」という言葉があった。
 
 初出は、昭和46(1971)年3月13日付のいわき民報だ。夫・混沌が亡くなって7カ月後の同45年11月16日、不定期で「菊竹山記」と題したせいの連載が始まる。その5回目に載った。――ある朝起きると、「しばれる」寒さだった。それで、一昨夜見て「しばれた」テレビ番組<現代の映像「老人の山」>を思い出し、老人が住むあばら家と老人たちを事細かに紹介しながら感想をつづる。
 
 単行本化された作品集『洟をたらした神』所収の「凍ばれる」は、しかし新聞掲載時の骨格は残しながらも、かなり文章が練り直される。「けさ」と「一昨夜」は同じ日の朝と夜になった。新聞と違って、雑誌、あるいは本にするとき、せいは「身辺雑記」を越えた「作品」、つまり小説表現を意識したということだろう。
 
 いわき市立図書館のホームページを開き、電子化されたいわき民報を閲覧して、「老人の山」の放送年月日を確かめる。昭和46年3月5日だった。テレビ・ラジオ欄に番組案内記事が載っていた=写真。新聞の文章と、「老人の山」の放送年月日を重ねると、「凍ばれる」の最初の原稿が書かれたのは、同年3月7日ということになる。

「日本の山村には、その昔、老いた親を、息子が背負い、山にはいったと言う『姥捨(うばすて)』の伝説が残されている。そして、現代――働き手が都会に出稼ぎに行くにしたがって、一人残された老人たちは、誰にも見とられることなく、病死していく。『姥捨』の伝説は、いま中国山地に見ることができる。(以下略)」(番組案内記事の冒頭部分)

 山中の孤独な生、孤独な死――番組を見て、せいは心が「しばれる」。その生々しい感覚が、新聞の文章から立ちのぼってくる。が、単行本ではそれがやわらげられ、「生誕の時の光りに反してこの終りの暗さは、これが一生というものなのか」という詠嘆にまで昇華される。

 こうして、作品集『洟をたらした神』の細部にまで分け入っていくと、作品の構造、せいの心理、時代状況といったものが、少しずつだが見えてくる。
 
 高度経済成長末期の47年前、日本の山村ではすでに「限界集落」化が始まっていた。この「姥捨」状況は、半世紀近くたった今、どうなっているだろう。少子・高齢化が進行した結果、孤独な老人は「山」にも「町」にもあふれている。さらに深刻さが増しているのではないか。
 
 というわけで、古新聞も使いようだな、「昔」を訪ねて「今」を、「未来」を考える材料にはなるのだから――と、元ブンヤは胃に重いものを感じながらつぶやく。

0 件のコメント: