2018年8月30日木曜日

「西山宗因といわき」展

 江戸時代前期のいわきは“俳諧王国”だった。磐城平藩を治めた内藤の殿様が俳諧に興じた。その影響で、一族も家臣も有力町人も俳諧に手を染めた。著名な俳諧師も招かれ、土地の発句を詠んだり、句集を編んだりした(これらの資料を文学地理学的に分析するのもおもしろい)。
江戸時代後期、出羽に生まれ、いわきの寺(専称寺)で修行し、のちに俳諧師となった俳僧一具庵一具に興味がある。その時代に先行するいわきの俳諧史に触れておきたい――そんな思いで、日曜日(8月26日)、勿来の関公園内にあるいわき市勿来関文学歴史館を訪ねた。10月16日まで企画展「西山宗因といわき」が開かれている。

 松尾芭蕉が「蕉風」を確立する以前、「字余りや奇抜な趣向、速吟」などを特徴とする「談林派」がはやった。宗因は同派の祖で、連歌師としても有名だった。

寛文2(1662)年、磐城平藩主内藤忠興の招きで宗因がいわきに滞在し、松島にも出かける。忠興の嫡男・義概(よしむね=俳号風虎)も延宝3(1675)年、江戸屋敷に宗因を呼んで俳諧に遊ぶ。義概の次男・義英(俳号露沾)は、宗因門に学び、みずから門人を育てるまで俳諧に没頭し、精進した。芭蕉のパトロンでもあった。

企画展では、宗因と風虎ら関係する人物をパネルで解説し、併せて個人蔵の「内藤義概和歌懐紙」「内藤露沾俳諧懐紙」を展示している。文歴所蔵本の『宗因奥州紀行巻』の文章コピー、あるいは「宗因が歩いた東日本」と題した旅行ルートの地図入り作品集コピーは持ち帰り自由だ。こうした“資料”がいずれなにかの役に立つ。

 たまたま旧知の館長氏と顔を合わせたら、近くの吹風殿(すいふうでん)で、いわき地域学會の仲間の夏井芳徳さんが「西山宗因のいわき紀行」と題して講演しているところだという。90分のうち残り30分だったが、話を聴くことができた=写真。前にどこかでチラシを見て講演があることは承知していたが、タイミングよくその日だった。ここでも宗因著の「奥州紀行」コピーをもらった。

夏井さんは今度の土曜日(9月1日)も「俳句集『桜川』の世界」と題して話す。『桜川』は、風虎が大阪の宗因門の俳人松山玖也をいわきに招いて編ませた全国レベルの選句集だ。近世初期の延宝2(1674)年に成り、全7000余句のうちいわきゆかりの句は2割ちょっと、と前に聞いた。

さて――。文歴と小川にある草野心平記念文学館は、同じ文学系の施設だ。文学館との違いを打ち出すために、マニアックな企画が目立つ。それも個性という評価がある。「西山宗因といわき」展も、俳諧研究の“すきま”に光を当てたようなものだろう。文歴に人を呼ぶのも、学芸員のアイデア次第、もっとマニアックな企画に徹せよ、ということになる。

0 件のコメント: