2018年10月10日水曜日

希林追悼の映画を見る

3連休最後の日(10月8日)の朝、10時過ぎ――。何年ぶりかでいわき駅前のポレポレいわきへ行く。チケット売り場は? 上映会場は? 勝手がわからない。5階でチケットを買い、4階へ下りて小さなシアターに入る。固定席は5列。そこにおよそ50席があって、ほとんどが中高年組で埋まっていた。
女優樹木希林さんが亡くなり、急きょ、彼女が出演した映画「モリのいる場所」が、5~11日の毎日1回、午前10時15分から追悼上映されることになった。希林ファンのカミサンが見たいというので、運転手を兼ねてついて行った。

最前列の席しか空いていなかった。2列目、ちょっと離れた席に、若いときから知っている“姉さん”がいた。民話の語り部をしている。やはり、希林ファンなのだろう。会場をじっくり眺めたら、ほかにも知り合いがいたかもしれない。

「モリのいる場所」は、画家熊谷守一(1880~1977年)の晩年を描いた映画だ。希林さんは、山崎努が演じる画家の妻役。画家は30年もの間、ほとんど家の外へ出ることなく、庭の草木や虫などの生き物を眺めて絵を描き続けた。そのエピソードをちりばめながら、コミカルに、しかし淡々と映画は展開する。

 冒頭――。展覧会場を訪れた偉い人が、守一の絵の前で首をかしげる。「これは子どもの絵か」

映画を見終わってわが家に帰ると、カミサンが『無一物――熊谷守一の書』(世界文化社、1997年)=写真=を本棚から出してきた。書の作品の合間に守一の文章や言葉がはさまれている。「子どもの絵か」とつぶやいたのは昭和天皇だった。

「頼まれて何か好きな字を書けといわれたときは、『独楽(どくらく)』『人生無根蔕』『無一物』『五風十雨』などと書きます」「なるべく書きたくないのは『日々是好日』とか『謹厳』などという字です」(『無一物』)。映画では、長野の温泉旅館主がヒノキの板を持って、自分の旅館の名前(「雲水館」)を書いてもらいに来る。画家が書いた字はしかし、「無一物」だった。

 東京のど真ん中の木造住宅。庭だけは広い。原っぱとそれに接する森のように、草木が茂る。『無一物』にこんな言葉が収められていた。「以前はこの庭でよくスケッチをしました。花や、花にくる虫や蝶、コオロギやバッタ、山吹にトカゲ、たんぽぽに蟇(がま)、水蓮とメダカなど、日本画にもよく描きました」。スケッチをしなくなっても、庭で生き物を眺める習慣は変わらない。

 画家を撮り続けている写真家がいる。「アリは左の2番目の足から歩き出す」。画家にうながされて、地面に顔を付けてアリの行列を観察するが、その「事実」を確認できない。実際、アリはそのとおりに歩き出すらしい(といっても、右側の足のときもあるようだが)。

 観客のほとんどは希林さんを見に来たのだろう。が、私は、毎日、庭にいてあきない画家にがぜん引かれた。「モリのいる場所」の「モリ」は守一の愛称だが、それは同時に「モリ(森)のある場所」でもあった。画家ほど徹底してはいないが、ある種の男どもは子どものころからずっと「モリオ・メグル(森を巡る)氏」を続けている。

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