2018年10月6日土曜日

三春ネギを教えてくれた

夏井川渓谷の小集落・牛小川の区長さんから電話が入った。「トシオさんが亡くなった」「通夜は?」「8日」。トシオさんは、私が牛小川にある隠居へ通いはじめた平成7(1995)年当時の区長さんだ。きのう(10月5日)のいわき民報に載った葬祭場の広告によれば、享年89。初めて会った23年前はバリバリの60代だった。
1月17日、阪神・淡路大震災。3月20日、地下鉄サリン事件。そして、同じ年の5月末――。高齢の義父に代わって隠居の管理人になり、マチの隣組とは別に、トシオさんのはからいで集落の隣組にも入った。

おかげで、週末だけの“半住民”にも総会や祭りの声がかかり、飲むほどに酔うほどに山菜やキノコ、動物の話で盛り上がった。山里の暮らしを定点で観測し、記録する面白さを知った。現役のころは所属する新聞で、今はブログで渓谷のあれこれを書き続けている。

トシオさんに誘われて、隠居から200メートルほど離れたトシオさんの家で酒盛りをしたことがある。闇夜のV字谷である。隠居へ戻るまでにイノシシと遭遇しないともかぎらない。勧められるままに泊まった。

朝食をごちそうになった。ネギとジャガイモの味噌汁を口にした瞬間、味蕾が反応した。子どものころ、田村郡(現田村市)常葉町の実家で食べていた味噌汁と同じ味ではないか。マチのスーパーで売っている硬いネギと違って、甘くて軟らかい。聞けば「三春ネギ」だという。

がぜん興味がわいて三春ネギの栽培を始めた。トシオさんだけでなく、奥さんにはいろいろ教わった。ネギ苗を譲ってもらい、栽培し、ネギ坊主から種を採ったのはいいが、常温で保存して発芽に失敗した。種を冷蔵庫で保存することを覚えてからは、採種~播種~発芽~定植がスムーズにいくようになった。今は、ネギについては冬~春の半年くらい「自産自消」でいける。

「三春ネギ」というくらいだから、阿武隈の分水嶺、田村郡の三春地方から種がもたらされたのだろう。郡山市にブランド化した「阿久津曲がりネギ」がある。産地は阿武隈川東岸だ。今でこそ郡山市西田町阿久津だが、同市に吸収合併されるまでは、田村郡西田村だった。三春町とは地続きだ。

もともとは「田村の曲がりネギ」だった。それが東進するうちに「三春のネギ」になり、小野町を経由して、いわき市の山間部・川前~小川町・牛小川へと伝わった。私はそうみている。

私は田村地方にならって曲がりネギにしていたが、おととし(2016年)、奥さんにお茶をごちそうになった折、「まっすぐの一本ネギにしている」「今は自分で食べる分しかつくっていない」と教えられた。8月の盆上がり、曲がりネギにするため、溝を斜めに切って「やとい」という伏せ込み作業をする。高畝=写真(台風24号であらかた倒伏したため、追肥と土寄せをしたところ)=にすれば、この手間が省ける、というわけで、今は「一本ネギ」にしている。

マチに住む喪主のサトシさんは、母親のつくった三春ネギを食べるだけだ。いずれ渓谷の実家の畑でネギなどを栽培するつもりだという。「そのときは教えてくださいよ」。トシオさんには三春ネギを教わった恩がある。今度は恩を返す番だ。そうすれば、種はとぎれることなく伝わる。

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