2018年12月10日月曜日

人生の始末のつけ方

 きのう(12月9日)、カミサンのいとこの告別式にカミサンと参列した。享年86。カミサンより一回り大きい。葬祭場での葬儀・告別式のあと、菩提寺へ移動し、百カ日までの法要をすませて納骨した=写真。それからまた葬祭場へ戻り、精進あげをした。親を送り、おじ・おばたちと別れ、いとこやきょうだいが欠けていく――そんな年齢に達したことをかみしめる一日になった。
 菩提寺の真言宗・淨日寺(いわき市平上高久)へは初めて行った。震災の年から足かけ7年、4月から7月までの前期、週に1回、いわき明星大へ通っていたときに、右手奥に寺らしいものが見えた。そこだった。

人間でいうなら右親指と人さし指の間に寺がある。両側が丘だ。日照時間は夏でも少ないだろう。山門は東方の海に向かって立ち、本堂は南の丘に面している。「春分の日と秋分の日に、山門の真ん中から朝日が昇ってきませんか」と住職に尋ねると、「出雲大社なんかはそうかも。朝日は寺の前の丘から出てきます」と言われた。今の季節は確かにそうだろう。

しかし、このお寺は――と私は勝手に想像しはじめた。地図を見れば、山門は東よりやや北向きだ。秋分・春分の日でなくても、必ず山門から朝日の昇る日がある。夏至がそうかもしれない。

それはさておき、納骨の段になってまた別の考えに耽った。カミサンのいとこはすでに自分たち夫婦の墓を立て、戒名を刻んでいたのだ。

精進あげのときに「生前戒名」のわけを奥さんに聞いてみた。うかつだった。「跡取り」の息子がいた。成人して会社に勤め、飲み会のあと代行車両で帰宅する途中、交通事故に遭って亡くなった。子どもはほかに嫁いだ娘しかいない。夫婦が死んだらだれが自分たちの墓をつくって守るのか。残る娘に迷惑をかけないように、亡くなった息子と同じ墓地に“生前墓”をつくり、戒名まで刻んだ。生きている人間の戒名であるという印に、名前の一字には朱が入っていた。

子に先立たれた親の深い悲しみと、残る子に迷惑をかけたくないという親心。これはこれで頭が下がる人生の始末のつけ方ではある。

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