2018年12月12日水曜日

切られた爪のような月

カミサンのいとこの“野辺送り”をした日(12月9日)――。風が冷たかった。雑木山に囲まれた墓地に納骨する間、雲ひとつない空を枯れ葉が舞っていた。思わずカメラを向けて撮った1枚がこれ=写真下1。落下する枯れ葉にピントが合ったのは初めてだ。
 その日、帰宅しあと、若い仲間から電話がかかってきて、また出かけた。帰りに、日没直後(カメラのデータによると、午後4時47分ごろ)の西空に光る月をパチリとやった=写真下2。わりといい感じで撮れた。
 月齢は1.8、二日月だ。なにか呼び名がないかとネットでチェックしたら、「新月」の次に「繊月(せんげつ)」とあって、「日没後1時間前後のまだ明るい空に、繊維のように細い月が見えることがある」という解説が付いていた。繊維よりは鋭い。爪切りでパチッとやったら飛んで行った爪がそのまま張りついたような月だ。

師走の月――で思い出した。吉野せいの作品「梨花(りか)」。梨花はせいの次女で、昭和5(1030)年12月30日、この世に生を受けてわずか9カ月余で亡くなった。急性肺炎だった。作品はその臨終記だ。

梨花はその日のうちに小さな棺におさめられ、日が変わった真夜中(大みそかの未明)、父親の実家の菩提寺の墓に葬られた。「逆さ別れ」のために、せいは真夜中、家の戸口から野辺送りの一行を涙ながらに見送るしかなかった。そのときの様子――。

「しあわせにも月が明るく、風もややしずまったが、刃物のような外気だ。道の両側のくぼみを残雪がとけずにふちどっている。お前のみちを照らすものはこんばんと書いた提灯一つだけ」

「この山の上で生まれ育ち病み死んだお前は、低い軒を離れていちご畑の細みちを、あまねき月光と黒い菊竹山の松風とに送られて、とぼとぼと平窪の菩提寺さして遠のいて行った。ちらちら揺れる提灯の灯のすっかり見えなくなるまで、私は戸口にたってお前に詫びつづけながら身を凍らせて見送った」

 真夜中の「あまねき月光」を知りたくて、当時の月の運行を調べたことがある。昭和5年12月30日の月齢は10.1日、31日は11.1日だった。今年(2018年)はどうか。88年前の12月30日の月齢に近いのは12月17日(月齢9.8日)と18日(同10.8日)だ。

小名浜では、17日の月の出が12:51、月の入りが0:26、18日の月の出が13:21、月の入りが1:25だ。要は、昼過ぎに月が昇り、深夜というより日が変わった未明の1時前後に月が沈む。

来週、月曜日(17日)から火曜日に日が変わるとき、ちゃんと起きていたら、十日月がどこにあって、どうあまねく下界を照らしているのか、この目で確かめようと思う。

0 件のコメント: