2018年12月4日火曜日

上三坂・田子家文書

 いわき市の北西端、三和町上三坂にいとこが住む。母親は私の父の妹だ。父親は常磐交通の運転手で、まだいわき市になる前の平市から三和村へ転勤して、バス停そばの車庫兼社宅に住んだ。一家は上三坂に根を張り、義叔父も叔母もそこに骨をうずめた。
 小学6年生のころ(もう60年近く前のことだが)、月遅れ盆に祖母に連れられて上三坂へ泊まりに行ったことがある。

田村郡常葉町(現田村市常葉町)のわが家からだと、常葉~船引町は福島県南交通(現福島交通)バス、磐越東線の船引駅~小野新町駅は汽車、小野町~上三坂は常磐交通バスを利用した。義叔父は、主に平―上三坂―小野ルートの運転手だった。上三坂からは平田村の小平へも常交のバスが運行していた。上三坂は中通りと浜通りを結ぶ交通の要衝だったことを、あとになって知った。

上三坂に泊まった晩、闇の向こうから「チャンカ、チャンカ」という鉦(かね)の音が響いてきた。やがて姿を現したのは浴衣姿の若者たち。彼らが踊り歌う「じゃんがら念仏踊り」というものを、そのとき初めて知った。なぜこんなに人の心をひきつけるものが三坂にあって常葉にはないのか。子どもながらにうらやましく思ったものだ。

前置きが長くなった――。日曜日(12月2日)朝、国道49号沿いの「三和ふれあい市場」へ白菜その他を買いに行った。一週間前にも行ったが気づかなかったのだろう。ガラス戸に上三坂・田子家文書の資料保全活動などを報告するシンポジウムの告知ポスターが張られてあった。

場所と時間は――。2日午後1時半から、いわき駅前・ラトブの6階・産業創造館とあった。大急ぎで山を越え、平地に下り、用を済ませて話を聴きに行った=写真。

 配られた資料によると、現三阪郵便局を営む田子家は、江戸時代には名主、明治の世に変わると戸長になり、併せて三阪郵便局を開設し、局長を務めた。今も務めている。土地のリーダーだった。

その田子家に伝わる史料は①上三坂村方文書②上三坂宿方文書③田子家文書④(上)三坂近代村政文書⑤郵便局関係文書――などおよそ7100点。國學院大学田子家文書研究会が、予備調査を含めて震災前の2001年から調査を続けているという。特徴は、郵便局関係文書が多く残されていること。新出文書を含めると2000点近い。これは稀有な事例だそうだ。

調査の過程で地元との接点も生まれ、去年(2017年)は地元で「歴史ふぉーらむ 上三坂の昔を知ろう」が開かれた。地元側が働きかけて実現した。旧知の上三坂区長も報告を聴きに来ていた。久しぶりに旧交を温めた。

 さて、いとこたちが住んでいたバスの車庫兼住宅は、今はあるのかどうか。グーグルアースでは、車庫のあったところがバスの駐車場になっていた。「上三坂バス停」は変わっていないらしい。三坂川が曲流していて、車庫へ行くのに橋を渡ったことは今も覚えている。同時に、「チャンカ、チャンカ」と、「いわきの大内宿」のようなたたずまいが思い起こされた。

0 件のコメント: