2019年1月2日水曜日

映画「日日是好日」

 元日に来るのは年賀はがきの郵便配達人だけ。いわき市平のポレポレいわきで映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」が上映されている。黒木華、昨年(2018年)9月に亡くなった樹木希林ら主演の「お茶の映画」だ。大みそかの晩、希林ファンのカミサンが「見に行く」と言いだした。運転手としては従うほかない。
 元日の全国紙に全面広告が載った=写真上。キャッチコピーに「一年の計は本作にあり。/観客動員100万人突破!空前の大ヒットで2019年も続映決定‼」とあった。なにか女性をひきつけるものがあるらしい。

ポレポレいわきでは一日1回だけの上映だ。元日は午後2時40分からだった。同1時過ぎには出かけた。映画館はいわき駅前にある。それまで街をぶらつくことにしたが、元日で開いている店がない。結局、早めに映画館へ行って、チケット売り場と同じフロアのロビー=写真下=で、セルフサービスのほうじ茶を飲みながら開場を待った。
たしかに「お茶の映画」だ。が、稽古ごとながら、生き方・暮らし方と微妙に重なる。真っ先に、「おっ、そうきたか」と思ったのが、お茶の道具の扱い方を教える武田先生(樹木希林)のことばだ。「重いものは軽く、軽いものは重々しく」

わび茶の完成者・千利休の「利休百首」にある。「手前には重きを軽く軽きを重くあつかう味わいを知れ」。あるいは「点前には強みばかりを思うなよ強きは弱く軽く重かれ」。新聞コラム、いや文章一般にも当てはまることばだ。

 映画は「二十四節気」とともに展開する。なるほど、太陰暦の時代に完成した文化のひとつだ。床の間の掛け軸も季節やその場の人間にふさわしいものが用意される(茶花には気づかなかったが、それも季節の花が使われる)。極度に形式化・作法化されたとはいえ、根本においては自然と人間の関係というか、両者が混然一体となった境地に遊ぶものなのだろう。

長田弘(1939~2015年)の『最後の詩集』(みすず書房、2015年)に「ハッシャバイ」という詩が入っている。その最後の5行。「人生は何でできている?/二十四節気八十回と/おおよそ一千回の満月と/三万回のおやすみなさい/そうして僅かな真実で」を思い出した。

そして、最後がこれ。新聞広告から引用する。「世の中には『すぐわかるもの』と『すぐにはわからないもの』の二種類がある。すぐわからないものは、長い時間をかけて、少しずつ気づいて、わかってくる。子供の頃はまるでわからなかったフェリーニの『道』に、今の私がとめどなく涙を流すことのように」。吉野せいの「洟をたらした神」の注釈づくりをしていると、この二種類によく出合う。

映画のタイトルに戻れば、市井(しせい)の人間の暮らしは日々、無事であること、平穏であることが一番だろう。「無事是好日」「平穏是好日」。東日本大震災のときのことを思い出すまでもない。

しかし、そのためにはそれぞれが努力しなくてはならないこともある。カミサンの言うことを聞いて運転手を務める。これもまた「日日是好日」のための努力のひとつなのだ、と口の中で言ってみる。そう、それで「元日是好日」になった。

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