2019年3月10日日曜日

即席ラーメン世代

 朝ドラの大団円が近づいている。残る時間は3週間、計270分。立花萬平・福子夫婦が苦労を重ねて「即席ラーメン」を発明し、世間に受け入れられた。次は、若い社員たちと試行錯誤の末に「カップヌードル」を完成させる――というところで「めでたし、めでたし」となるのだろう。
 日本で即席ラーメン(インスタントラーメン)が売り出されたのは、昭和33(1958)年8月という。私が小学4年生のときだが、はっきり覚えているのは中学生になってからだ。3年生の後半、受験勉強に追われていたとき、母親がよく夜食につくってくれた。

小鍋に水を張って沸かし、乾めんを入れてほぐしたところへ粉末スープを入れて、どんぶりに移す。ガスでお湯を沸かすところから考えれば、どんぶりにお湯をそそいで待つよりは、ひと手間多いが時間は短縮できる。

中学生のころはもっぱら、朝ドラのモデルになった日清食品のチキンラーメンを食べていたようだ。入学した平高専(現福島高専)でも、寮でよく食べた。湯沸かし室で小鍋に湯を沸かし、めんと粉末スープを入れる。そこまでは同じだが、どんぶりに移すのを省略して鍋からじかに食べた。

創成国際特許事務所会長で弁理士の佐藤辰彦さんが福島民報に「知財ノート―知は財をつくる」を連載している。おととい(3月8日)は朝ドラにからめて、「まんぷくラーメン」というタイトルで即席ラーメンの特許について書いていた。

「当時の法律では『飲食物又は嗜好(しこう)物』の特許が認められず、製造方法のみが特許となり、その作り方が違えば別特許になった」「独占せず先の特許を開放して業界をまとめ、カップラーメンを発明して即席ラーメンを世界に広めた安藤百福氏の功績は大きい」

佐藤さんは高専1期生で、2年先輩だ。入学式をすませて寮に入ると、食堂で歓迎会が開かれた。寮自治会長の佐藤さんがあいさつした。陸上競技部でも一緒だった。

3年生の寮(2人部屋)と1・2年生の寮(オープンの4人部屋)の二つがあった。佐藤さんが湯沸かし室で即席ラーメンを鍋でほぐしている後ろ姿を覚えている。あるいは別人だったかもしれないが、佐藤さんの記憶として定着した。佐藤さんは今回、寮生活を思い出しながら原稿を書いたのではないだろうか。

受験勉強とその後の寮生活、そして結婚後も即席ラーメンとの付き合いは続いた。今は昼にときどき生ラーメンが出る。家庭用ラーメンの製造技術はそこまで進化した。

昼、無性に明星チャルメラが恋しくなることがある。新発売は昭和41(1966)年というから、10代の終わりに食べていたのはこれだったか。

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