2019年3月16日土曜日

3月11日の焼菓子

東京五輪が決まる前、2013年9月4日のブログで「東京が安全ならいいのか」というタイトルで次のようなことを書いた。
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いわきはハマ・マチ・ヤマの三層構造からなる。いわきを深く知るには、ときどきマチを離れてハマとヤマからマチを見ないといけない――職業柄、そう意識して長年暮らしてきた。中心からは周縁は見えない。見えるのは、周縁が中心に影響を及ぼすとき、たとえば凶作や水害、不漁のときだけだ、とも。

中心と周縁の関係はマスメディアにも内在する。マスメディアの本社がどこにあるかでニュースの価値が決まる。事故を起こした福島第一原発に近いいわき市(地域紙・コミュニティ放送)、福島・郡山市(県紙・ローカル放送)と、東京(全国紙・全国ネット放送)とでは危機感が違う。

全国紙であれ、全国ネットのテレビ局であれ、本質的には東京のローカル紙(局)だ。東日本大震災の初期報道がたちまち福島第一原発事故の報道に切りかわったのは、「東京にも影響が及ぶのではないか」と東京のメディアが恐れたからだと、私には映る。

2020年夏の東京五輪開催をめざす東京招致委員会の竹田恒和理事長(日本オリンピック委員会長)が、福島第一原発から海洋に汚染水が流出している問題で、IOC(国際オリンピック委員会)の委員に対して「東京は全く影響を受けていない」「全く普段通りで安全だ」といった内容の手紙を出したという。ブエノスアイレス共同電で、県紙で読んだ。

私は慢性の不整脈をかかえているので、カッとなるな、興奮するなと常に自分に言い聞かせている。が、これにはカチンときた。メディアだけではない、東京に住む政治・行政・その他組織のトップの本音が透けて見えるではないか。周縁を犠牲にしてなにが東京の安全だろう、なにが五輪招致だろう。
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 なぜ6年前の文章を引用したかというと、東京五輪誘致にからむ「贈賄疑惑」が報じられているからだ。雑誌「ジャーナリズム」の3月号を読んだからだ。もっといえば、東京都町田市に住むカミサンの親友から、3月11日の消印で手紙が届き、焼菓子が別送されてきたからだ=写真。

カミサンが親友の手紙の封を切ると、夫婦あてになっていた。カミサンの親友は仙台出身で、18歳のときに仙台の大学でカミサンと出会った。半世紀を超えるつきあいになる。東北への思いは強い

その親友が、NHKの3・11関連番組に触れて書いている。「こうやってたまにテレビでしか見ることの出来ない私達ですが、やはり、忘れていることを思い出させてくれる映像から目を離すことは出来ません」。ナショナルメディアの役割がここにある。

 手紙を読み、焼菓子を食べているうちに、月刊の「ジャーナリズム」3月号をわきに置きっぱなしにしていたことを思い出す。定期購読をしている。月が替わるころ、朝日新聞と一緒に配達員(ミャンマーの若者)が持ってくる。きのう(3月15日)、じっくり読んだ。

 巻頭特集「震災8年、風化、風評、報道されない日常…… 福島を見つめ、伝える」に10人が書き、1人のインタビュー記事が載る。小名浜在住の小松理虔(りけん)さんが「震災8年、忘却と無関心に抗うためにメディアはプレイヤーとして地域の中に」と題して書いている。中央メディア=東京ローカルと、私と同じような認識を持つ若い人がいることをうれしく思った。

 同時に、「大きな主語で語ることなく、小さな固有の声に耳を傾けること。専門知と現場を橋渡しすること。多様な声を聴きながら合意形成を図ること。一人のプレイヤーとして地域や現場に関わること。(略)震災と原発事故を『福島の出来事』ではなく『私の出来事』として考えていくこと」の大切さも説く。その通りだろう。

 焼菓子は、いわきでは食べたことのない食感だった。口に入れると、ほろりととろける。甘さも控えめだ。ときどき3時にお菓子付きで緑茶が出ていたが、この2、3日は紅茶と焼菓子だ。3・11でざわついていた気持ちが、川崎の焼菓子と、小松さんの「東京ローカル」論で鎮まった。けさの県紙は「竹田会長、退任不可避」と報じている。「東京は安全」のウラになにがあったのか。

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