2019年3月20日水曜日

リサイクル業者ではないけど

「15日の午後、用がある? なければ、小名浜へ一緒に行って。要らなくなった物をもらってくるから」。先週の金曜日、車のトランクをカラにして、アッシー君を務めた。
若い知人一家が祖父の住んでいた家に入ることになった。断捨離で祖父の衣類やシーツ、食器類などがいっぱい出た。フィットのトランクと後部座席に積めるだけ積んだ。炊飯器と掃除機も。

 シャプラニール=市民による海外協力の会が「ステナイ生活」を展開している。いわきの「ザ・ピープル」が古着のリサイクルを手がけている。カミサンはどちらにも関係している。拙ブログで確認しただけで、震災前は3回、震災後は6回、リサイクル活動に駆り出された。先週で10回目だ。

 断捨離で引き取った物は、2009年2月の場合、古着や食器、ベンチ、自転車、コーヒーミル、かつお節削り器、梅漬け用の甕、いす、自転車タイヤの空気入れ、風呂のかき回し棒、火ばしのほか、かけや、ミニショベル、ハンドスプレー、三本熊手、剪定ばさみといった園芸用具、将棋盤のように厚い鉢物の木の盆、レンガ、アロエの鉢などに及んだ

車で何往復もした。これが今までで最大のリサイクル協力だった。食器類は新しくリサイクルカフェを開く人がいたので、そちらへ回した。

震災後の2011年4月。カミサンの幼なじみの家が解体されることになり、断捨離を終えたあと、残った着物についてカミサンが形見になるもの、リサイクルに回すもの、捨てるものと分けて、リサイクル用の着物を引き取った。私は本箱を二つもらった。冷蔵庫や洗濯機は、津波の被害に遭い、避難所で暮らしている知人がいたので、連絡すると要るという。後日、それらを運び出した。

2011年7月には、双葉郡広野町まで遠征した。カミサンの知人の家は大規模半壊の判定を受けたうえに、原発事故の影響で家族全員が避難した。たちまち空き巣に入られた。捨てるしかないという古着を10袋ほど持ち帰り、ザ・ピープルのリサイクルに回した。

 わが家はザ・ピープルのリサイクルショップのひとつになっている。古着を必要とする人が買いにくる。不要になったからと持ってくる人がいる。本類は知り合いの若い古本屋に連絡すると、安い値段で引き取りに来る。食器類も含めてたまったおカネをシャプラニールに送る。

 今回は一往復だけで済んだ。後部座席とトランクから出すと、四畳半の部屋がいっぱいになった=写真。

これが、翌日午前にはあらかた片付けられた。衣類はほとんど、知人が経営する小規模多機能型在宅介護施設に引き取られた。利用するお年寄りの尻ふき用になる。食器類は100円、200円といった値段で店頭に置くと、いつか数が減っている。ごはんはさっそく、小名浜の炊飯器で炊いたという。前の炊飯器が小さいうえ、一部がおかゆっぽくなってしまう。いいときに代替品が手に入った。

  きのう(3月19日)は、近所に住む原発避難中のおばあさんが茶飲み話に来た。帰りになにか買っていったようだった。

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