2019年3月4日月曜日

中南米音楽の店へ

 土曜日(3月2日)の夜、2カ月にいっぺんの飲み会があった。会場の“和熱帯酒場”の近くに、中南米音楽の店がある。一次会が終わると、何人かその店に足が向いた。私以外は40代以下だ。たまに顔を出す若者がいた。近所に住んでいながら、入るのは初めてという若者もいた。
いわき駅前の飲み屋街からは離れている。江戸時代にはしかし、浜に揚がった様々な荷物を、旅人を迎える城下町の入り口だった。店の名前は「モンテビデオ」。昭和49(1974)年に開店した。“歴史の道”と交差する国道399号(旧国道6号)沿いにある。

2階前面を黄土色のテントが覆っている。アンデスの民と店の名前がかかれている。店内は、外からは見えない。初めての人には“ブラックボックス”のような感じを抱かせる。

私たちが入ると、ママさんがジプシー・キングスのビデオをかけた=写真。フラメンコ系のアコースティックギターの音色が心地いい。「パコ・デ・ルシアの音楽かと思った」というと、「パコのあとに(このグループが)出てきたのね」。ラテン音楽にはさすがにくわしい。テレビ時代劇「鬼平犯科帳」のエンディングテーマがジプシー・キングスだったことを思い出す。私は、それでこのグループを知った。

福島県川俣町は、今や日本のフォルクローレ(南米アンデス山脈に住む先住民を中心にした民族音楽の総称)のまちとして知られる。フォルクローレで世界的に知られる曲は「コンドルは飛んでいく」だろうか。

同町のホームページによると、年に一度、「コスキン・エン・ハポン」という祭りが同町で開かれる。アルゼンチンの避暑地・コスキンで、南半球の夏の1月、中南米の国民音楽祭が開かれている。その日本版を、同町の故長沼康光さんが中心になって開催し、今の隆盛を築いた。

長沼さんらがフェスティバルを始めたのは昭和50年だ。「モンテビデオ」のママさんもこれに共鳴し、川俣町へ出かけたり、店を休んで長沼さんらと中南米へ出かけたりした。前にそんなことを聞いていたのを思い出す。

この店を訪ねたのは何年ぶりだろう。時間の目安は2011年の東日本大震災だ。以前・以後で記憶をたどる。震災後は行っていない。震災前もずいぶん行ってなかった。20年以上前、40代に飲み屋をはしごして、何度かたどりついた記憶がある。

カウンターがあって、ボックスがある。とはいっても、穴倉のような空間だ。10人も入ると酸欠になりそうだ。たばこは禁止ではないが、「吸う人がいれば換気扇を回すので、合図をして」ということだった。

実は、ママさんとわがカミサンとは中学校の同級生だ。それで、若いときから知っている。「店を出してから、もう45年よ」。たぶん店内は当時となにも変わっていない。ラテン音楽一筋に店を切り盛りしてきた。今も続けている。それはそれであっぱれな生き方ではないか。こういう店が“場末”にあるまちは楽しい。

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