2019年12月27日金曜日

中村哲と沢村勘兵衛

 街へは国道を利用して行き、帰りは夏井川の堤防を戻る。自称リバーウオッチャーとしては、川や河原に異変があればすぐ気づく。10月の台風19号の大水では、右岸のヤナギがなぎ倒された。岸辺の緑がえぐられ、堆積土壌がむきだしになったところもある=写真下1。(左岸は平・鎌田~中神谷間、右岸は同・北白土~山崎間の話)
 川の堤防は水の氾濫を防ぎ、人間の生命と財産を守るために設けられる。それで、人間の住む側は堤内、川のある側は堤外と呼ぶ。堤外には流水が運んできた土砂が堆積する。堆積するだけでなく、岸がえぐられて土砂が流されもする。川の3作用=浸食・運搬・堆積がどこかで絶えず繰り返されている。

 土砂がたまった河川敷では、いつの間にか、だれかが鍬を入れ、野菜を栽培するようになった。今回えぐられた岸辺にも畑が広がっている。撮影データを拡大すると、ネギが植わってある。大根と白菜もある。川に近い部分は大水が運んできた土砂で白く覆われている。

 この10~11月と、川の恩恵と猛威について繰り返し考えてきた。そこへ、アフガニスタンで人道支援を続けていた医師中村哲さん(73)の死が伝えられた。運転手や護衛ら5人とともに車で移動中、銃撃されて亡くなった。
 階段に積み重ねてある本のなかから、中村さんの『医者、用水路を拓く――アフガンの大地から世界の虚構に挑む』(石風社)=写真上=を引っ張り出して、寝床で読んでいる。前半の第3章「砂漠を緑に――緑の大地計画と用水路建設の開始」に差しかかったところだが、日本の江戸時代の土木技術を応用することを思いつくあたりから、俄然おもしろくなってきた。

 川から取水し、用水路へと誘導するために、「斜め堰」「蛇籠(じゃかご)工」「柳枝(りゅうし)工」といった日本の中・近世の伝統技術が使われる。壊れたら、自分たちで直すことができる。蛇篭の石も現地で調達できる。中村さんが参考にしたのは、ふるさと・福岡県の筑後川に設けられた「山田堰」だ。日本の代表的な斜め堰として知られる。

 斜め堰なら夏井川にもある。小川町・三島地内。夏井川のカーブを利用した多段式、木工沈床の七段の白い水の調べが美しい=写真下2(グーグルアースから)。最も好きな水の風景のひとつだ。今からざっと350年前の江戸時代前期に築造された。山田堰より歴史は古い。
 この堰によって左岸の小川江筋に水が誘導される。磐城平藩内藤家の郡奉行沢村勘兵衛が江筋の開削を進めた。勘兵衛は、本によっては、のちに切腹を命ぜられた、あるいは追放となった、とある。正しい事績は謎に包まれているという。明治になって勘兵衛の霊をまつるため、農民らの手で平・下神谷に沢村神社がつくられた。

小川江筋の堰を研究した専門家は論文で「約300年以上にわたり大規模な改築もせずに、その機能を十分に果たし、自然景観と調和した美しいたたずまいを醸している」と、高く斜め堰を評価している。さらに、「河川横断構造物の設計にあたり、その位置での河川の流れの特性を見極め、洪水という流れのエネルギーに立ち向かうのでなく、流れに逆らわないやさしい流れを作る視点であるように思われる」ともいっている。

ここを起点にした用水路は終点の四倉まで全長30キロ。現在はいわき市北部の夏井川左岸の水田約970ヘクタールを潤している。堰のすぐ上流には冬、ハクチョウやカモたちが飛来する。

干ばつから用水路開削を決意するという点では、中村哲さんも沢村勘兵衛も同じ。その晩年もなにかしら共通する。夏井川渓谷の隠居へ行く途中、斜め堰の白い水の調べが目に入る。1冊の本を手にして以来、アフガンにできた用水路に小川江筋を重ね、向こうの斜め堰の水の調べを想像してみたりする。

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