2020年4月30日木曜日

ブログのアクセス異変?

 グーグルアナリティクスで毎日、自分のブログの「ユーザー数」と、過去7日間の「地域のサマリー(概略)」をチェックしている。何のために? 新聞でいえば、発行部数と配達エリアを頭において記事を書く――そんな感覚に近いか。
 地域のサマリーでは国、次いでその国の地域がわかる。ふだんは日本を除いて、米国・イタリア・スペイン・台湾などからアクセスがある程度だが、10日ほど前、いきなり36カ国・80地域を超えた。

理由がわからない。パソコンに不具合がおきたのか、と思ったが、それ以前も以後も問題はない。1週間以上が過ぎた今(4月30日)は日本:26地域、海外:5カ国7地域と、元のレベルに戻った=写真は4月28日のアクセス地図(海外は米国・イタリア・台湾・オーストラリアの4カ国)。

 異変に気づいたのは4月21日。今まで表示されたこともない国名が一覧にずらりと並んでいた。クロアチア、ベラルーシ、アイルランド、ハンガリー、ルーマニア、オランダ、デンマーク、ベルギー……。アクセス上位のイタリアは、ローマ・ボローニャ・ミラノなど11地域、スペインはセビリア(セビーリャ)・グラナダ・マラガなど9地域から。

 4月14日から20日までの間で目に留まりそうなブログのタイトル・内容は、18日付の「『日本は甘いよ』」、次いで20日付の「シダレザクラとアミガサタケ」くらいだろうか。欧州でも今はアミガサタケが発生しているはずとはいえ、それでアクセスする国の数が急増するとは思えない。パンデミック(世界的な大流行)の新型コロナウイルス、これが理由の大元だろう。

「『日本は甘いよ』」では、カミサンがスペインに住むいわき出身の画家に電話をして、コロナ問題の話になったことを書いた。

彼の住むトメジョーソだけで死者は200人ほどになった。老人福祉施設など3カ所でクラスター感染がおきたのだという。都市封鎖(ロックダウン)が続いている。軍隊が出て道路を封鎖している。理由もなく外出すると罰金が科せられる。バル(軽食喫茶・酒場)も閉鎖されている。それに比べたら、日本の感染防止対策は甘いよ――。

 どの国でも外出自粛、つまり「ステイホーム」が叫ばれている。すると、ふだんは職場へ出かけて家にいない人たちが、時間を持て余してネットサーフィンをしているうちに、たまたま拙ブログに出合った、としかいいようがない。「『日本は甘いよ』」がそれぞれの国の言葉に自動翻訳される過程で「日本は危ないよ」とでもなったか。

 一過性の偶然ではあっても、せっかくのつながりだ。どの国のどの地域からアクセスがあったか、国と地域名をメモしておいたので、毎日、ネットで“海外旅行”をしようと思う。少なくとも北半球の30カ国くらいは訪ねられるだろう。

まずはスペインのセビリアへ。いわきと同じ北緯37度線上にある。いわきから真西に向かってアジアを過ぎ、ヨーロッパに入ってスペインの南西部に至ると、セビリアのまちが待っている。ノーベル文学賞を受賞した詩人ビセンテ・アレイクサンドレ(1898~1984年)のふるさとでもある――。ネットの旅だからこそ、そんなことがたちどころにわかる。

2020年4月29日水曜日

「熟読玩味」の時間

 図書館から借りて読む本は月に20~30冊ほど。単純に「読んで楽しむ」というより、「資料」としてパラパラやることの方が多い。いそがしい読書だ。
 あらかたは事前にホームページで確認する。出納書庫にあるものは館内の検索機でクリックし、カウンターで受け取る。新着図書は必ずチェックする。好みの本や興味をそそられる本がたまにある。

新型コロナウイルス感染防止のため、いわき市は4月18日から5月6日まで、図書館・美術館など「公共施設の原則休館」を決めた。たまたま休館3日前に3冊を借りた。返却日の迫っていた1冊と合わせて4冊=写真=が今も手元にある。

 中田豊一『援助原論』(学陽書房)、ジャック・アタリ/林宏昌訳『食の歴史』(プレジデント社)、原成吉『アメリカ現代詩入門』(勉誠出版)、地球の歩き方『シベリア』(ダイヤモンド社)――。

『援助原論』は、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」を支援するACジャパンの公共広告に刺激されて借りた。著者の中田さんは、同じ国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」の元代表理事。シャプラのバングラデシュ駐在員時代の体験記だ。

その後、中田さんはセーブ・ザ・チルドレン事務局長に就く。東日本大震災時にはシャプラの代表理事で、国内で初の支援活動を展開したいわきへも足を運んでいる。

『アメリカ現代詩入門』は新着本だ。ロバート・フロストにアレン・ギンズバーグ、ゲーリー・スナイダーなどが入っている。ノーベル文学賞を受賞したシンガー・ソング・ライターのボブ・ディランも取り上げた。ディランが現代詩の世界で論じられるのは珍しい。

スナイダーの奥さんになった女性は日系アメリカ人の故キャロル・コウダ。キャロルにささげられた詩集『絶頂の危うさ』(原成吉訳)に、キャロルの母ジーン・コウダをうたった詩「コーヒー、市場、花」がある。

<ぼくの義理の母は/アメリカ生まれの日本人で/仲買人には手強い/頭が切れる商売人/裸足で働きながら育ったのは/サクラメント川が作るデルタの農場。/日本が好きではない。/コーヒーのマグを片手に/朝早く、窓辺にすわって//桜の花を見つめている/ジーン・コウダ/かの女に詩はいらない。>

 ジーンは、カリフォルニア州ドス・パロスで農業(稲作)を営んでいた日系二世のウイリアム・コウダと結婚し、2人の娘メアリーとキャロルをもうける。「稲作」「コウダ」とくれば、思い浮かぶのはいわき市小川町出身の「ライスキング」国府田敬三郎。私の頭のなかでは「ライスキング」を介していわきとスナイダーがつながっている。

『シベリア』は、モンゴルの北隣に位置するトゥーバ共和国の情報が欲しくて借りた。ロックミュージシャンの巻上公一さんが第1回大岡信賞を受賞したときの記事に、トゥーバの歌唱法「ホーメイ」を習得した、とあった。巻上さんとホーメイを知るには地理的な情報も――というわけで、シベリアを南から縦断して北極海へ注ぐエニセイ川の源流部に思いをはせた。

のどや舌、唇を楽器のように操り、歌う人間に引かれる。図書館から巻上さんの『声帯から極楽』(筑摩書房)を借りて読み、さらにラルフ・レイトン/大貫昌子訳『ファインマンさん最後の冒険』(岩波現代文庫)も借りて読んだ。トゥーバへの傾倒ぶりが面白かった。『シベリア』を借りたのはその余韻のようなものだ。

新着の『食の歴史』は、キノコのトリュフに関する記述を期待してのことだったが、それはたいしたことがなかった。

私は見なかったが、NHKの「緊急対談 パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」がネット界で評判になっている。なかでも、字幕を中心に要約されたアタリの言葉がグサッときた。

「利他主義は最善の合理的利己主義にほかなりません」。コロナ問題にあてはめると、自分が感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を防ぐ必要がある。周りの人間が感染していなければ自分も感染しないからだ。感染症はだれでもかかる。狭い利己主義に陥って犯人捜しをしたり、感染した人間を攻撃したりするヒマはないのだ。

利他主義を生きる――。知識人の役割のひとつは、もやもやした気持ちや状況に対して、明確な言葉を与えることだろう。

それらを念頭に『食の歴史』を読むと、「植物の利他主義」に出合った。正確には植物とキノコ(マツタケでいえば、松の根とマツタケの菌糸)の「相利共生」のことだ。ちょっと単純すぎないか、という思いはあるのだが、さすがに目のつけどころが違う。

県教委はきのう(4月28日)、5月7日以降も県立学校の臨時休校を延長することを決めた。市町村立の小中学校もこれにならうはずだ。となれば、公共施設の原則休館も延長される? はからずも図書館の休館で「熟読玩味」の時間ができた。さらにこの4冊を深読みせよ、ということになるのかどうか。

2020年4月28日火曜日

谷間を渡る薫風・下

 隠居のある夏井川渓谷でも、草や木の芽が萌(も)え、生きものたちのいのちが宿る時期を迎えた。「畑おこすべ~」で菜園の土を起こしたあとは、「自然観察」の時間に当てた。
 といっても、隠居の庭と敷地の境の小道に沿って、土手や小流れを見て回るだけだ。半径30メートルほどの小さな世界。視線をできるだけ地べたに近づける。すると、今まで気づかなかった生きものたちの営みが見えてくる。
 隠居の庭――。シダレザクラの樹下にカキドオシの花が咲いている=写真上1。シダレの花は満開の時期を過ぎて、風が吹くたびに花びらが舞い散る。新芽も開き始めた。花に来る虫は、と見れば、枝で黒いテントウムシがうごめいている=写真上2。あとで逆「C」形の赤い紋様を調べたら、ナミテントウらしかった。

 敷地の下に広がる空き地――。水力発電所専用の車道に水たまりができていた。その先の空き地も水があふれて、一部、湿地化している。去年(2019年)の暮れ、隣地の石垣の上の土手がイノシシに掘り返された。そのとき土砂が落下したのか、石垣の下の小流れが埋まって水が行き場を失った。
 車道の水たまりに大小2種類のオタマジャクシがいた=写真上3。水深はわずか1~2センチ。雨が降ったときに、どこからか流されてきたか。石垣のそばの水たまりにも種類はわからないが、カエルの卵塊があった=写真下1。
 隠居の下の庭には名前のわからない木の花がある=写真下2。上の庭にはオオカマキリの卵嚢(らんのう)が落ちていた。アミガサタケもシダレの樹下をはずれたところに1個、根元に1個あった。
隠居のなかで大量に越冬したカメムシは、この春初めて自由に飛び交っていた。薫風が通りぬける屋内で、ポトリ、ポトリと畳に落ちては、すぐ立ち上がって飛び立つ。今までにない敏捷さだ。カメムシはこの日、冬ごもりを終えたのだ。

絶えず変化してやまない自然の営み――。センス・オブ・ワンダー(不思議さに目を見張る感性)に、年齢は関係ない。渓谷へやって来ると、いつもそう思う。

2020年4月27日月曜日

谷間を渡る薫風・上

 まだ4月だが、夏井川渓谷の森は木の芽が吹いてパステルカラーをまとい、尾根筋までヤマザクラの花で染まっている=写真下(小川町・江田地内)。きのう(4月26日)は朝から晴れて、谷間を薫風が吹き渡った。
 渓谷の隠居で午前中、土いじりをした。この半月の間にネギ苗約250本とキュウリ苗3株を植えた。スペースはまだある。まずは鷹の爪。これは漬物の風味・殺菌用に欠かせない。毎年栽培している。それからナス、あるいはなにか、サニーレタスでもカブでもかまわない。すぐ種をまいたり、ポット苗を植えつけたりできるように、うねをつくっておく――。

若いときは土を耕すのに鍬(くわ)を使った。50代後半からはスコップに替わった。60代になると、それさえきつくなった。

家庭菜園用の耕耘機を買うほどのスペースではない。が、もっと簡単に土おこしをしたい。生協のカタログに、てこの原理を利用した5枚刃の「畑おこすべ~」があった。竹馬とフォークを合体させたようなもので、握りその他はアルミ製、5本ある刃は鉄製で焼きが入っている。値段も手ごろなので、ためらわずに買った。

足で刃を踏んで地中に差し込み、握りをグイッと下げる。雑草の根ごと土が盛り上がる。とはいえ、疊3枚分を耕すのに2時間もかかった。気づけば、正午近くになっていた。

昼食は縁側に出てとった。薫風が体を包む。早緑(さみどり)色、臙脂(えんじ)色、黄色、薄茶色……隠居の対岸の森は木の芽が吹いて、ぽやぽやした産毛をまとったようにやさしい。アカヤシオ(岩ツツジ)の花が散ると始まる緑のグラデーション。コロナを忘れてしばし眼福に浸った。

午後も「畑おこすべ~」を使おう、と思ったが、「年寄り半日仕事」とはよく言ったもので、体が「うん」といわない。昼寝をしたあとは、カメラを首から提げて近所をぶらついた。
 夕方4時過ぎには平地へ戻った。田んぼはあらかた耕起が終わった。水を引いた田もある。平・上平窪地内に入ると、トラクターが往復する田んぼの奥に、こいのぼりがはためいていた=写真上。

いわき地方では大型連休に入ると、一気に田植えが始まる。その準備が進められている。アマはアマなりに菜園の土をほぐし、プロの農家は田んぼをならして水を入れるばかりにする。自然と向き合った、コロナとは無縁の営み。里の田園にも薫風が吹き渡っていたことだろう。

2020年4月26日日曜日

注文の品が欠品に

 毎週、生協の宅配サービスを利用している。金曜日コースで、前の週に注文すると翌週には品物が届く。ところが3月後半あたりから、チラシに「おわび」の文字が入るようになった。
 わが家では注文しなかったが、最初はマスク。新型コロナウイルス問題が広がる前は、週に3千個ほどの注文があった。これが3月以降、一気に65万個に急増した。調達できる個数はざっと2万5千個。注文数はその26倍だ。抽選しても倍率は100倍超。4月4日から当面、マスクの企画をはずしたという。

 トイレットペーパーも事情は変わらない。1人1個、それさえ抽選で対応してきた。そして、今は食品にも「中止」(欠品)「遅配」の文字が並ぶ=写真上1。

 おととい(4月24日)、4月最後の宅配サービスで食料品が届いた。注文した41品目のうち、欠品は豚肉、本みりんパック、菜種油など13品目に及んだ。遅配も1品目あった。マスクほどではないが、想定を超える注文が寄せられ、物流セットセンターの受け入れ能力を超えた。それが欠品の理由だという。
 先週の火曜日(4月14日)朝、NHKの「おはよう日本」が生協の現状を伝えていた=写真上2。「注文殺到 これ以上配送できない 宅配サービスピンチ」。字幕から漠然と抱いていた不安が現実のものになった。

 これほど欠品が多くては、カミサンが頭に描いていた1週間の献立が成り立たない。同じ日の夕方、街へ行った帰り、買い物に付き合わされた。スーパーもまた、閉店時間を短縮する、チラシの新聞折り込みを当面中止する、といった三密自粛策をとるようになった=写真下。
 食料にとどまらない。わが家では店で「ゆうパック」も扱っている。福島県内の郵便局でコロナ感染者が出たため、中通りの一部地域について、ゆうパックなどの引き受けを一時停止する、という知らせが届いた。けさの新聞は折り込みチラシがゼロだった(福島民報は自前の「お悔やみ情報」だけ)。どの業種も、どの家もコロナ禍と無縁ではない。

でも、縮こまってばかりはいられない。やれることはある。庭があれば家庭菜園を、庭のない人でも軒下やベランダでバケツに土を入れてナスを栽培するくらいはできる。

この際、「プロシューマー」(生産消費者)を目指してはどうか。プロシューマーは『第三の波』の著者、アルビン・トフラーの造語だ。「プロデューサー」(生産者)であって「コンシューマー」(消費者)――カネではなく、家族や自分の満足のために生産する消費者のことをいう。

100%消費者ではなく、1%でも2%でも生産者になってみる。すると、根なし草ではなく地に足がついた感じになる。世の中の見方も変わる。そこから「コロナ後」の社会がイメージできるかもしれない。

きょう(4月26日)は日曜日。これから夏井川渓谷の隠居へ出かけて家庭菜園で土いじりをする。猫の額ほどのスペースだが、耕したり、苦土石灰をまいたりして、野菜苗を植えつける準備をする。家にこもって弱った筋肉のトレーニングにもなる。

2020年4月25日土曜日

堀江工業の100年誌

 恵贈にあずかった本がある。いわき市の建設会社、堀江工業の創立百周年記念誌『百年の軌道』(2020年1月刊)=写真下1。この3カ月、パラパラやりながら、同社が手がけた橋や公共建造物に思いをめぐらせてきた。
本文に「橋の堀江」という言葉が出てくる。ふだん車で移動しながら利用している橋(夏井川流域)に、平大橋(平・鎌田)、禰宜町跨線橋(同・禰宜町)、平橋(同・幕ノ内)、六十枚橋(同・下神谷)、才槌小路立体鏡(同・才槌小路)、高麗橋(幽霊橋=同・六間門)、小川橋(小川町)などがある。同社が手がけた橋の一部だ。

毎週日曜日、夏井川渓谷の隠居へ出かける。その行き帰り、県の広域農道整備事業現場(小川町)=写真下2=を通る。間もなくJR磐越東線、県道小野四倉線上に橋が架かる。これも同社が請け負った。戦後に絞ると、旧平市庁舎、平競輪場、千軒平貯水池、四倉漁港新港、いわき中央署、県いわき合同庁舎なども手がけた。
明治中期、山形県から現常磐線の敷設工事に働きに来た人間がいる。やがて地元の女性と結婚し、独立して、土木請負業を興す。法人化したのが100年前の大正9(1920)年。堀江工業は今やいわきを代表する老舗企業のひとつになった。

 箱入り、ハードカバー、400ページを超える大冊――。一企業の100年史にとどまらない、いわき地域の100年史としても読める。第一次世界大戦、関東大震災、アジア・太平洋戦争、東日本大震災を経験する。さらに刊行直前の去年(2019年)10月、台風19号がいわき市に大きな被害をもたらした。そのことも「付記」として加えた。

本の構成にも工夫が施されている。本文、年譜、資料の各編に分かれる。社会史的な手法を取り入れて、本文にはトピックスや小解説がふんだんに盛り込まれた。トピックスからは同社に関係する人間の息づかいが聞こえてくるようだ。

実は、年下の元同僚が専従となって取材・執筆した。資料の読み込み段階から、「近くまで来たから」といって、わが家へ寄っては進捗状況や戦前の新聞の話をしてくれた。

本に出てくるエピソードから、これはと思ったものを二つほど――。昭和3(1928)年、地元・四倉の磐城セメントの協力で、大浦小が東北で初めて鉄筋コンクリートの校舎に替わる。堀江が「犠牲的な工事」をした。関東大震災が起きたとき、荷馬車300台を被災地に送った功績で、昭和5(1930)年の帝都復興祭式典に東北から唯一、社長が招待された。

社史は、社内に保存されている資料を基に執筆・構成される。が、社会・経済・世相などを肉付けするには、当時の新聞資料に当たるのが一番。いわきの場合、私立の図書館「三猿文庫」に戦前・戦後の地域新聞が収蔵されていた。市に寄託されたあとは、総合図書館でデジタル化が進められ、ホームページを開けば、いつでも戦前からの新聞が閲覧できるようになった。その恩恵ははかり知れない。

社史を越えた社史、「100年史」を超えた「100年誌」である。図書館にも寄贈されたので、市民はいつでも手に取ることができる。といっても、5月6日までは“コロナ休館”中だが。

2020年4月24日金曜日

春の野の味

 夏井川渓谷の隠居の庭に、今年(2020年)もアミガサタケが発生した。日曜日(4月19日)、シダレザクラの樹下に出ているのを、今季初めて収穫した。
 アミガサタケは群生する。出始めたら次々に現れる。隠居へ行くのは毎週日曜日。そのルーチンにとらわれていては成熟しすぎてしまうかもしれない。週半ばのおととい(4月22日)、出かけた。散らばって生えていた。5個を収穫し=写真上1、出始めたばかりの1個をそのまま残した。それから少し、土いじりをした。

 隠居へ行く途中、ホームセンターへ寄ってキュウリのポット苗を三つ買った。アミガサタケが出ていなくても、キュウリの苗を植える仕事がある、空振りにはならない、と自分に言い聞かせて。

 日曜日にキュウリ苗を植え付けるうねをつくった。土をほぐして肥料を施し、土をかぶせて目印の石を置いた。その石をよけて苗を植え、たっぷり水をやる。

晴れて日差しが強いときに植え付けると、太陽光線を浴びて、活着しない苗の葉がしおれる。それをカバーずるには水、水、水しかない。砂漠生まれのネギと違って、南方系のキュウリには水分が欠かせない。

それがすむと、辛み大根のつぼみを収穫し、植え付けたばかりのネギ苗をチェックした。日曜日にはまだ形成されていなかった花芽が伸びている。結局、植え付けたネギ苗のほとんどに花芽が形成された。それを摘む。そうしないと、秋に太くてやわらかいネギにならない。
晩酌用の食材がそろった=写真上2。夜、辛み大根の花芽は、つくっておいたさんしょう味噌をからめて食べた。舌先がほのかにヒリヒリする。さわやかな辛みだ。この食べ方は今年初めて試した。OKだ。

アミガサタケはまず、月曜日の晩(日曜日はカツオの刺し身だったので、一日おいた)、ゆでたあと、二つに割いて素揚げにしてもらった。塩を振って食べた。コリコリ、シコシコと、歯ざわりはいいのだが、どうも淡泊すぎる。おとといは野菜いため、きのうは朝の味噌汁に加えてもらった。オリーブオイルで炒めたアミガサタケは、味がしみてうまかった。味噌汁はイマイチだった。やはり炒めるのが一番と知る。

春の野の味はそこらへんに転がっている。接触自粛を守りながらの野歩き(散歩)は気晴らしになる。それぞれがそれぞれの生活の場で楽しみを見つければいい。

2020年4月23日木曜日

街に自然が戻る?

  新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)がもたらした現象だという。先日の朝日新聞=写真=によると、イタリアのベネチアでは観光客が激減して、一時的ではあれ運河の水質が改善した。ミラノの公園ではノウサギが駆け回り、ローマのスペイン広場の噴水ではカモが水浴びをする。チリのサンティアゴでは街にピューマが現れ、アルゼンチンの海岸の街では通りでアシカが休んでいた。
 人間の領域だった街の通りから、コロナ禍で人間の気配が消えた。すると、たちまち野生動物が現れた。記事を読みながら、デジャブ(既視感)に襲われる。福島県ではこの9年、主に浜通りを中心にして起きている現象でもあったから。

 原発震災からおよそ3カ月後の2011年6月――。友達から借りた線量計を携えて、放射線量を測りながら田村市常葉町の実家へ行った。いわき市川前町から川内村に入り、田村市都路町の国道288号に出て、同399号と分かれるところで車を止めた。

と、車の脇を通りすぎるものがいる。犬だろうか。バックミラーで確かめたら、ノウサギだった。夜行性のノウサギが真っ昼間、堂々とえさを探していた。川内同様、都路にも人影はなかった。稲作はこの年中止された。人間のいない里は寂しい自然に戻っていた。

 2013年11月――。震災後初めて、双葉郡富岡町へ足を踏み入れる。当時、いわきで被災者の支援活動を続けていた国際NGOのシャプラニール=市民による海外協力の会が、“ダークツーリズム”を企画した。主に首都圏の十数人が参加した。いわき側の人間として案内役の知人とともに、夫婦でツアーに同行した。

夜ノ森地区に入り、知人の運転する車から降りて、サクラ並木で知られる富岡二中前の交差点に立つと、東側の住宅街を貫く道路にイノシシの母子が現れた。その距離ざっと100メートル。母イノシシが人間に気づいて足を止め、こちらをじっと見ている。やがて子イノシシがわき道にそれ、母イノシシも子どもを追って姿を消した。

イノシシは、山里では夜に行動する。が、全町民が原発避難をした町には、人の気配がない。昼間から自分のテリトリーのように歩き回っていた。

2016年12月――。私の住むいわき市平・中神谷地区でも、驚くようなことがおきた。日中、まちなかのわが家の向かいの歩道でキツネが目撃された。直前には、近所にイノシシが現れた。おそらく里山開発によるものだろう。

人間の活動が自然を収奪し、破壊して、生きものたちを追い詰めてきた。その活動がコロナ禍によって、一時的ではあれ、地球規模で抑えられた。新聞の記事からは、人間から圧力を受けて小さくなっていた生きものたちが、それで少しだけ伸びができるようになった――そんなイメージしか浮かばない。

これらは急速な社会経済活動の縮減に伴うトピックスにすぎない、といって終わっていいものだろうか。

原発事故が起きたあと、哲学者内山節さんの『文明の災禍』(新潮新書)を読んだ。カバーの惹句が今も心に響く。

「産業革命以来、『発展』のため進歩させてきた末の技術が、いま暴走している。(略)私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではない。『新しい時代』は、二百年余り続いた歴史の敗北を認めることから始めることができるのである」

「新しい時代」像をどう結ぶか、でもある。

2020年4月22日水曜日

いわきのテイクアウト

 店の多さとメニューの多彩さに目を見張る日々――。若い知り合いがフェイスブックに「テイクアウトいわき」というサイトを立ち上げた。
 コロナ問題で日本全国に緊急事態宣言が出された。「8割の外出(接触)自粛」が要請されている。その影響で飲食店の客足が激減した。店によっては廃業・倒産に直結しかねない状況だ。

持ち帰りで活路を――。テイクアウトを始める店が急増した。その店とメニュー、値段などを紹介し、いわきの飲食業界を盛り上げながら楽しもう、というのがサイトの趣旨だ。店だけでなく、利用者も投稿できる。

いわきは広い。が、ふだん動き回っている範囲は限られる。狭い生活圏(私の場合はいわき市平の、そのまた一部)でも、ラーメンの持ち帰りがある、北海道で食べた豚丼(ぶたどん)がある――食べ物はコンビニ止まりの人間だが、見る=知る楽しみがある。

これはリアルな一例――。インド料理の店「マユール」(平下神谷)が、当面、テイクアウトだけに切り替えた=写真。きのう(4月21日)、ランチボックスを四つ買って、自宅学習をしている孫に届けた。取引のある店に少しでも協力できれば、共働きの息子一家の夕食を1回だけでも簡単にすませられれば、という老婆心からだった。

少し想像すればわかることだが、ある業界が苦境に陥ると、関連する第一次産業も第二次、第三次産業も苦しくなる。外出自粛、営業自粛の影響が身近な地域でも目に見えるようになってきた。「風が吹けば桶屋が儲かる」の反対だ。

マユールは3・11前、新舞子海岸にあった。大津波で店が大破した。それからおよそ10カ月後の正月、内陸に移転・再開した。

台風19号で浸水し、場所を移して、あした(4月23日)再開するシュークリームとマカロン屋もある。「アンプルール」(好間)から「クリーム」(平=一二三屋いわき店内)に店名を改称した。父親から案内のはがきが届いた。

地震・津波・台風、そして世界的なコロナ禍。「憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力試さん」(山中鹿之助説と熊沢蕃山説がある)。経営者は困難に立ち向かってがんばっている――テイクアウトいわきの情報に接するたびに、そんなことを思う。

2020年4月21日火曜日

花に色がついているワケ

 日曜日に夏井川渓谷の隠居へ行くと、ラジオ(NHK第一)をかけっぱなしにする。おととい(4月19日)は朝10時半ごろから午後1時まで、「子ども科学電話相談」をやっていた。土いじりに疲れると、隠居に戻ってごろごろする。ちょうどそのとき、小2の子の質問が耳に入った。「どうしてお花は色がついているんですか」
 庭のシダレザクラは、ピンクの花が満開だ。対岸のアカヤシオ(岩ツツジ)やヤマザクラも、少し前まで見事なピンク色だった。アセビは白色。いろんな色がついているのはなぜだろう。先生の答えは、目立った色で昆虫を誘い、花粉を運んでもらうため、というものだった。

 きのうのブログで、シダレザクラの樹下からアミガサタケを3個採った話を書いた。ヤマザクラの樹下にもあるのでは……。対岸の森へ足を運んだことも書いた。ヤマザクラの樹下まではたどりつけなかったが、林内には常緑低木のミヤマシキミの白い花が咲いていた。冬にはルビーの実がよく目立つ。

 近くの「木守の滝」の水がいつもの倍以上の勢いで落下していた。短い間に二度も嵐のような低気圧が通過した。めったにない水量だ。それを、スポーツモードで連写した=写真上1。

 と、そこへ突然、熟年カップルが現れた。人間と人間の接触を避けるため、いつもそうするように、日曜日、渓谷の隠居へ出かけて、たまたま森巡りをした。同じ思いを抱いて渓谷へ息抜きにやって来たのだろう。めったにないことが滝の前でおきた。
 滝の撮影をすぐ切り上げて隠居へ戻る。途中、巨大な落石の上にタチツボらしいスミレが咲いていた=写真上2。ちょうど私の背丈と同じ高さにある。少し下からアップ気味に撮った。花は清楚な薄紫色。

ミヤマシキミの白色、タチツボスミレの薄紫色も、昆虫を誘うサインなのだ。こういう時期だからこそ、花は人間にとっても眼福になる。

 隠居に戻って庭をぶらついていると、滝の前で会った女性がまた現れた。シダレザクラの花を撮らせてくれという。そばで草むしりをしていたカミサンは、シダレザクラが喜ぶから「どうぞ、どうぞ」だ。私はびっくりして、少しの間棒立ちになった。人の家の庭まで入り込むのか。
 女性が帰ったあと、樹下に立ってアミガサタケの気持ちになってみる。雲が流れている。切れ間に青空がのぞく=写真上3。「どうしてお花は色がついているんですか」。花をキノコに置き換える。「どうしてキノコは色がついているんですか」。キノコに関しては、理由がよくわかっていない。理由がないのかもしれない。

 虫を誘うのは、色ではなくて、匂い――そんなキノコがある。「派手な色のキノコは毒」というのは迷信。同じ真っ赤なキノコでも、ベニテングタケは毒、タマゴタケは食菌だ。子孫繁栄の方法も、キノコは一般に傘裏で形成された胞子が風で拡散されるような傘の形になっている。流体力学的に説明できるのだという。

子嚢菌類のアミガサタケは、かたちは独特だが胞子の拡散は風まかせだろう。互いにウイルスを放出するかもしれない人間より、胞子を放出するキノコの方が、谷間ではいとおしい。

2020年4月20日月曜日

シダレザクラとアミガサタケ

 きのう(4月19日)の日曜日、朝10時過ぎ――。夏井川渓谷の隠居に着く。庭のシダレザクラの花が満開だ。真っ先に樹下をチェックする。
あった! 2本あるシダレザクラの中間、花の噴水の内側に二つ=写真、すぐそばに一つ。今年(2020年)初めての春キノコ、アミガサタケだ。まずは写真を撮る。それからゆっくりと茎の根元に指を差し込み、ねじるようにして採る。

カミサンは、アミガサタケよりシダレザクラの花が頭にあった。「満開の花を見てやらないとかわいそう」。私は花よりアミガサタケだ。春のキノコを採り終えると、カミサンは樹下で草むしりを始めた。

樹下には、あちこちにカエデの幼樹が生えている。それを苗ポットに移そうとすれば、熊手で土をほじくり返すことになる。ただの草むしりでも、熊手を使えば地中のアミガサタケの菌糸がずたずたになる。草むしりはしようがないが、熊手は使わないでくれ――。ひとこと物を申す仕儀になる。

アミガサタケを採れば用はすんだ、も同然。少し土いじりをしたあと、縁側で一休みした。春の嵐が続いて、対岸のアカヤシオの花もヤマザクラの花もあらかた散った。谷沿いにヤマザクラの花が残っている。もしかしたら、そこにも……。

妄想が芽生えると抑えられなくなった。久しぶりにつり橋を渡る。が、林内は急斜面、谷沿いでもでこぼこが続く。対岸から見た感じと違って、林内ではヤマザクラの樹下までが遠い。アミガサタケの有無を確かめるのはあきらめた。

アミガサタケの記録を自分のブログで振り返ってみる。――平成25(2013)年師走、庭が全面除染の対象になり、業者が表土をはぎとったあと、山砂を敷きつめた。除去された表土より深く菌糸が残っていたか、山砂に胞子が含まれていたかして、4年前(2016年)、久しぶりにシダレザクラの樹下にアミガサタケが発生した。

以来、毎年決まった時期(4月20日過ぎ)に発生を確認している。今年は記録的な暖冬だったが、発生確認はやはり19日になった。寒暖にはほとんど関係がないらしい。

 平地のわが家の庭に出たこともある。――3年前(2017年)の4月14日、店(米屋)の用事で運転手を務め、配達から帰って庭に車を止めたら、カミサンが庭の花壇のへりにアミガサタケが頭を出しているのを見つけた。

去年はアミガサタケとアスパラガスの炒め物にした。今年はどうしよう。まずはゆでこぼした。細かく刻んで吸い物にするか、二つ割りにして炒め物にするか。そのへんの判断はカミサンにまかせる。

2020年4月19日日曜日

ふき味噌とさんしょう味噌

 この時期、「ふき味噌」と「さんしょう味噌」=写真下=が晩酌に欠かせない。ごはんのおかずにもなる。ときどき、どちらかをなめながら風味を楽しむ。
カミサンが、近所の伯父(故人)の家の庭からフキノトウを摘んで、ふき味噌にした。さんしょう味噌は、自分の家の庭にあるサンショウの木の芽を摘んで、カミサンに頼んでつくってもらった。

フキノトウは、小さいころは苦くて食べられなかった。苦みも食味のひとつ、と感じられるようになったのは、職に就いてからだ。

 今でもはっきり覚えている。新米記者の取材先に草野美術ホールがあった。事務所で酒盛りが始まり、アルミホイルに包んで、ストーブで蒸したフキノトウを食べたら、意外や意外、舌が受け入れた。苦いが、酒に合う。以来、春にはフキノトウを食べる習慣ができた。

 家によっては、フキノトウを刻んですりつぶし、味噌を加えて生のまま食べる。が、阿武隈高地では油で炒める。砂糖も加える。そうして、マイルドなふき味噌ができあがる。わが家のふき味噌は後者の“甘苦(あまにが)”だ。

 さんしょう味噌は、独身時代、世話になった家でおばさんが生(な)りたての、小さな青い実をすりつぶしているのを見て知った。春の木の芽でもできる。

夏井川渓谷の隠居にサンショウがある。晩秋、黒く熟した実の赤い殻を摘んですりつぶし、粉ざんしょうにした。うな重が高騰した今は、粉ざんしょうはつくらない。晩春、糠床にサンショウの木の芽を入れる。ほのかな風味付けになる。サンショウは葉も実も殻も利用できる。
 実は、さんしょう味噌には伏線があった。田村市からネギ苗をもらってきて、隠居の庭の畑に植え付けた。ところが、この冬は寒気が緩み、たまに寒暖が激しくなって、苗に花芽がいくつもできた。それを摘んだ=写真上1。この花芽を利用して「ねぎ味噌」にしよう、いやこれだけでは香りが薄い、サンショウの木の芽を加えよう、と思いついた。

ネギの香りはゼロだった。未熟な花芽ではしかたがない。サンショウも香りを楽しむには量が少なかった。「今度は木の芽をもっと使おう」。カミサンもやる気になってきた。

子どもには、フキノトウの苦みもサンショウの木の芽の香りも刺激が強すぎる。親と同じ食べものを口にして、「苦い!」「鼻がツンとする!」となると、もう手が出ない。しかし、味蕾には苦み・香りが刷り込まれる。その後、いろいろ経験を積んで大人になると、なぜか子どものころ嫌った苦み・香りに懐かしさを覚える。山菜の苦さ・香りを受け入れるには人生の苦さが必要なのだ。

きょう(4月19日)は夏井川渓谷の隠居へ行って、コゴミ(クサソテツ)を探そう。庭のフキノトウはもう薹(とう)が立った。シダレザクラの樹下にはアミガサタケが出ているかもしれない。できるだけ動かずに春の味を調達する。
畑の隅ではこぼれ種から芽生えた「ふっつぇ」の辛み大根が花盛りだ=写真上2。種は去年までのがいっぱい残っている。今年(2020年)はサラダ感覚で花を食べてみようか。カツオの刺し身のつまにして。

人間と人間との接触の代わりに、人間と自然との接触を増やす。これが籠り居の日々のストレス解消になる。

2020年4月18日土曜日

「日本は甘いよ」

「日本は甘いよ」。電話の向こうで、スペイン中部に住む画家がいう。いわき出身の阿部幸洋。ラ・マンチャ地方、トメジョーソでカンバスに向かう日々――。食料などの日用品は息子同然のラサロが調達する。
 ヨーロッパではイタリアとスペインで、新型コロナウイルスの死者が突出している。4月17日午後3時現在の死者数は、イタリア2万2170人、スペイン1万9315人。トメジョーソの様子は? カミサンがおととい(4月16日)の夜、電話をした。

 トメジョーソだけで200人ほどが亡くなった。老人福祉施設など3カ所でクラスター感染がおきた。都市封鎖(ロックダウン)が続いている。軍隊が出て道路を封鎖している。理由もなく外出すると罰金が科せられる。バル(軽食喫茶・酒場)も閉鎖されている、という。そんな状況の国から母国・日本を見ると、冒頭のような言葉になる。

 その日本では、おととい(4月16日)、東京都などの大都市圏だけなく、すべての地域に緊急事態宣言が出された。感染者が出始めたいわき市でも、きょうから大型連休明けの5月6日まで、「感染防止一斉行動」が実施される。
 
そのうち、市が実施するのは①小・中学校の一斉休校②幼稚園・保育所・放課後児童クラブの一斉休園③公共施設の原則休館――などだ。

 この「行動計画」を市民の側からみると、子どもが毎日家にいる、図書館や美術館・文学館へ行っても開いていない、ということになる。しかし、目的は「人と人との接触8割削減」だ。2メートル以上の距離を保った散歩やジョギングはかまわないという。当然、人との接触がない土いじりや山菜採りはOKだろう。

わが家の場合は、一緒に住んではいないが中1と小5の孫がいる。ヒマを持て余すのではないかと案じられる。関係している区内会やいわき地域学會の会合・行事は延期・中止、ないし書面配布に切り替える。在宅ワークに集中して外出=接触自粛を続け、合間に庭や鳥・花を眺めて気分転換を図る=写真(雨上がり、カエデの枝にたまった水滴。拡大すると、ちょうど朝日が映って光を放っていた)。

9年前には原子力災害による緊急事態宣言が出された。9日ほど避難した。知り合いの若い記者のフェイスブックで思い出したのだが、この宣言はまだ解除されていない。そこへ二つ目の宣言が出た。

100年前のスペインインフルエンザ(スペイン風邪)のときには、大正7(1918)年8月下旬に流行が始まり、10月上旬に蔓延して11月には患者数・死者数が最大に達した。さらに、翌年10月下旬、2回目の流行が始まり、同9年1月末が流行のピークになった。

今度のコロナだって、いったん鎮静したようにみえても第2波、第3波がくる。北海道ではすでにそうなっている。「日本は甘い」「第2波、第3波がくる」――画家の言葉を肝に銘じて、ぶり返しを覚悟して、コロナに向き合うしかない。

2020年4月17日金曜日

凍みもちを食べる

 先日、田村市の実家へ帰ったら、みやげに「凍みもち」をもらった=写真下。「ごんぼっぱ」(オヤマボクチの葉)が入っているという。「ごんぼっぱ」。懐かしい言葉だ。阿武隈の山里では広く凍みもちがつくられている。どこからか届いたのだろう。
 子どものころは、春の「3時のおやつ」だった。「おやつ」なんて言葉を使うのも恥ずかしいのだが、要するに昼食と夕食の間、小腹がすくと「凍みもちでも食べてろ」となる。そういうときの食べ物、いわゆる「こじはん」(小昼飯)だ。

 子どもでもできる食べ方は、凍みもちをそのままストーブの上で焼くことだ。もちの表と裏がきつね色になって、中まで熱が通ったら、フーフーいいながら、少しずつ食べる。

そのころは、それが普通だと思っていたが、一般的な食べ方は違っていた。一晩水につけてもどす→やわらかくなったのをフライパンで焼く→砂糖醤油などにつけて食べる。ネットには、これ以外の食べ方は載っていない。

やわらかくなった凍みもちを食べたこともあるが、凍みもちというと、やはり、私には硬いもちを焼いて食べるのが一番。というか、それしか思い浮かばない。
 きのう(4月16日)、「3時のおやつ」に一つだけ石油ストーブで焼いた=写真上。かじると、何層にもはがれながら割れる煎餅のような食感と、「ごんぼっぱ」のほのかな香りが口中に広がった。

実家で凍みもちの話になったとき、「オレは焼いて食べる」というと、兄が驚いていた。「歯が丈夫なんだな」。凍みもちを水につけてもどすのは、硬いままでは歯が立たないからだ。

確かに、焼き凍みもちは懐かしい味がした。が、老化した歯ではもたない、ポロッと欠ける心配もある。そのまま焼くのは1、2個にして、あとは水につけて、もどしてから食べることにしよう。

2020年4月16日木曜日

デコイのミミズクだった

 夕方、街まで下の孫の運転手を頼まれた。息子の家の玄関前で孫が車に乗り込むのを待っていると、おや、大きな鳥だ! 斜め向かいの家の2階ベランダに猛禽が止まっていた。色の模様はタカ、止まっている姿はミミズク――老眼にはそう思われた。
 助手席に置いたカメラを手にして、そっとドアを開けて外に立ち、急いでカシャカシャやった。人の姿を見たはずだが、猛禽は平然としている。そこへ、ドバトが1羽やって来て、猛禽の近くの屋根に止まった。猛禽を恐れない。「あれっ」とは思ったが、タカないしミミズクの写真を撮った喜びの方がまさった。

 助手席に座った孫がいう。「何を撮ったの?」「鳥」。胸を張ってベランダの猛禽を指差す。と、「ずっといるよ」「ん?」「ホンモノじゃないよ」「えっ!」。あわてて撮影データを拡大すると、鳥はミミズクだが、足元がおかしい。置物だった。「だまされたね」。小5にいわれて、こちらは「……」言葉もない。

 あとで、ネットで鳥のデコイを検索する。似たミミズクがあった。「防鳥具」だという。なるほど、一般の住宅で防鳥といえばフン害対策だ。ドバトがそばに来たことでその説明が付く。屋根がドバトの休み場になっているのだろう。

 この春、夏井川渓谷でカモシカの写真を撮った。そのときの興奮がまだ残っている。今度は猛禽だ。なんてついてるんだ――ラッキーな気分が孫の一言でしぼんだ。いや、調子に乗ってブログに載せたら、フェイクになっていた。老いては子に、孫に従え、か。

 ところで、新型コロナウイルスの感染を抑えるには「接触8割削減が必要」(西浦博北海道大学教授)だという。やむを得ない接触でも自衛は大切だ。私がマスクをしているのを見ると、「あっ、マスクを忘れた」。いったん家に戻って、マスクをして車に乗り込んだ。孫にとっても「かからない」と「うつさない」はセットだ。感染予防に年齢は関係ない。

2020年4月15日水曜日

ACジャパンのCM

 東日本大震災の直後、テレビで公益社団法人・ACジャパンの公共広告が流れた。記憶にあるのは金子みすゞの「こだまでしょうか」と、宮沢章二の詩「行為の意味」を抜粋した<「こころ」は/だれにも見えないけれど/「こころづかい」は見える//「思い」は/見えないけれど//「思いやり」は/だれにでも見える>。
 ACジャパンのCMは、テレビ・ラジオだろうが新聞・雑誌だろうが、掲載してもカネにはならない。言葉は悪いが穴埋め用だ。有料のCM枠が急きょ、災害などでキャンセル(自粛)になる。3・11直後は、それでテレビにACジャパンのCMがあふれた。あまりの多さに視聴者はうんざりした。

 新型コロナウイルス問題でスポンサーがCMを自粛し始めたようだ。ACジャパンのCMが目に留まるようになった=写真。国際NGOのセーブ・ザ・チルドレンを取り上げ、最後に「この活動を支援しています」という字幕が入る。

 このCMに刺激されて二つのことを考えた。一つは、私がかつて身を置いていたメディアに新型コロナウイルスが及ぼしている(だろう)影響。もう一つは、私も関係しているシャプラニール=市民による海外協力の会など国際NGOの活動について。

 茶の間からの感想としていえるのは、コロナ禍以後、新聞の折り込みチラシが減ったことだ。なかでも、パチンコ店のチラシが3月10日から入らなくなった。毎朝、パチンコ店のチラシの有無をチェックしてきた。パチンコ店のチラシは例外なくA3の大きさで、ほとんどが片面刷りだ。裏側を落書きやメモ用紙に利用できる。それが止まった。

記者たちの苦労も尋常ではない(はずだ)。イベントの中止・延期で取材する対象・材料がなくなる。コミュニティメディアほど紙面を埋めるのに追われる。人に会って話を聞く・写真を撮るといった、テレワークとは縁遠い仕事だ。だれか1人でもコロナに感染したら、たちまち発行停止になってしまう。そんな心配も膨らむ。

 ACジャパンのCMの中身はこうだ。この地球という星では、子どものいる学校や遊び場に爆弾が降ってくるところがある。戦争・内戦・紛争が絶えない。子どもが労働を、14歳以下の少女が早すぎる結婚を強いられているところがある。こうした現実(物語)を変えよう――。

 セーブ・ザ・チルドレンという国際NGOを知るチャンスではある。私はたまたまシャプラニールと関係していたので、ぼんやりとだが記憶があった。

例えば、3・11のときのシャプラ代表理事・中田豊一さんは、シャプラ職員~セーブ・ザ・チルドレン事務局長を経て、シャプラ代表理事になった。シャプラの支援活動に合わせて、いわきにも足を運んだ。シャプラとセーブ・ザ・チルドレンは、いうならば目的を同じくする“同業他団体”だ。

 ACジャパンの、子どもの「物語を変えよう」CMに賛同しつつ、私はその裏にあるメディアの記者、営業、販売店の人間たちの踏ん張りを見守るしかない。

2020年4月14日火曜日

春の嵐

 きのう(4月13日)は早朝から北東の風が吹き荒れた。雨も次第に強まった。春の嵐だ。台風19号から半年。いやでも災禍の記憶がよみがえる。
 おととい、夏井川渓谷の隠居の畑にネギ苗を植えた。ワラの代わりに刈り取った庭の草を溝に敷いた。この敷き草が支えになって苗はもちこえた、とは思うのだが……。近いうちに様子を見に行く。

 隠居の隣の空き地の土手も気になる。隣は水力発電所の社宅跡だ。谷側から吊り橋と同じ高さで最初の空き地があり、そこから石垣と盛り土でがっちり固めた上部に、社宅跡が二段になって広がる。春のアカヤシオと秋の紅葉時、県道沿いの社宅跡には行楽客の車が何台も止まっている。

 去年(2019年)暮れ、石垣のすぐ上の土手がイノシシに掘り返されているのに気づいた。雨のたびに土砂が流れ落ちたのだろう。石垣の下の小流れが寸断され、石垣からしみだした水が空き地にあふれて、一部、湿地化していた=写真上1。

 同じころ、わが隠居の庭も2カ所、イノシシに荒らされた。特に、シダレザクラ(きのう、花の写真をアップした)の樹下は、草やコケがひっくり返されて土がむきだしになっている。

この樹下には4月下旬、サクラと共生するキノコのアミガサタケが発生する。イノシシに掘り返された影響はあるのかないのか。暖冬だったために3月下旬からチェックしているが、まだ気配はない。影響がなければ来週あたりには、アミガサタケが出てくる。
 
小流れは石垣のはずれから夏井川へとL字になって注いでいる。その岸辺に小さな湿地がある。早春にはキクザキイチゲが咲く。毎年、写真を撮るのがひそかな楽しみだった。ところが、その湿地が土砂で埋まっていた=写真上2。流木まである。半年前の台風19号で冠水したのだ。

3・11からまだ9年しかたっていない。放射性物質の問題だけでなく、台風による大水、イノシシ、新型コロナウイルス、春の嵐と、人間は自然から逆襲されているのではないか――そんな思いにかられるような事態が続く。文明のあり方を問い直さないといけないのではないか――という思いにもなってくる。

少し不便でも、技を磨いて自然と折り合いながら生きる。高度経済成長前に戻れ、というのではない。インターネットやAIなど最新の技術を組み合わせれば、自然と共生する暮らしが可能ではないのか――そういったことも考える。

2020年4月13日月曜日

外出自粛は接触自粛

外出自粛の目的は人間と人間の接触を避けること。外出しなくても、家族や友達との家飲み会、食事会は接触になるから避ける。接触を伴わなければ、屋外で動くのはかまわない――。
SNSで、首相のいう「最低7割、極力8割の人と人との接触削減」の根拠を計算した専門家のインタビュー記事を読んだ。自粛すること、やっていいこと、その両方に言及していて納得がいった。

マスメディアが伝えるのはネガティブ情報がほとんどだ。心のバランスを図るにはポジティブ情報も欲しい。なのに、メディアからそれを得ることはできなかった。いや、情報は伝えていると反論されたら、伝え方が弱くて見えてこなかった、というしかない。専門家の意見はやはり参考になる。それで少し元気になった。

きのう(4月12日)の日曜日は、夏井川渓谷の隠居で土いじりをした。会って言葉を交わした人間といえば、犬を連れてそばの県道を散歩していた地元の住人ひとり。「おはようございます」。大声であいさつして終わったが、ソーシャルディスタンス(社会的距離)は、2メートルをはるかに超えて8メートルはあった。

水曜日(4月8日)に田村市から持ち帰ったネギ苗を植え付けた。きのうはその残りを植えた。新型コロナウイルスを忘れて、ネギ苗と向き合うこと2時間。趣味のネギ栽培ではあっても、植え付けを終えてホッとする。(きょうは早朝、すでに嵐の様相。これから強風と激しい雨になる。倒伏が心配だが、溝に敷き草をしているから、そんなに倒れることはないだろう)

「三春ネギ」は、私にとっては栽培~消費にとどまらず、そのサイクルを記録する取材対象でもある。植え付けがすめば、あとは自由時間だ。

昼食をとり、昼寝をして本を読み、それにあきると、カメラを持って庭の内外をうろついた。2本のシダレザクラが7分咲きになった=写真上。ウグイスが1羽、さえずっている。天空を腰の白いツバメ(イワツバメだろう)が舞っている。庭に戻ると、カエデの木に小鳥が来て止まった。ヤマガラだった=写真下。
世界は三つの交通で成り立っている。自然と人間の交通、人間と人間の交通、自然と自然の交通――哲学者内山節さんの『自然と人間の哲学』(岩波書店)をもじっていえば、世界は三つの接触で成り立っている。自然と人間の接触、人間と人間の接触、自然と自然の接触。この三つの接触のうち、人間と人間の接触を8割減らす必要がある、と専門家はいっているわけだ。

自然のなかに身を置いていると、予想もしない出来事に出合う。足元で花が咲き出した、キノコが現れた、生き物が近くまでやって来た……。毎週、渓谷へ通ってあきないのは、この小さな驚きと不思議があるため(きのうは、ニホンカモシカには出合わなかったが、渓谷にすみついたかもしれない、と想像する楽しみが増えた)。

午後遅く、人間と人間の接触が避けられないマチへ戻る。マスクをかけて、いつもの魚屋へ直行した。「きょうのカツオもおいしいですよ」。そのとおりだった。外出自粛は人間と人間の接触自粛。人間と自然の接触は、たまりにたまったストレスをほぐしてくれる妙薬でもある。