2020年4月1日水曜日

ぼんやりとした不安

 きょうは4月1日。行政区の新年度が始まった。月に3回の回覧資料配布は続けるが、区の役員会その他の集まりや行事は当面、延期ないし中止を検討するしかなさそうだ。
 きのう、福島市で初めて2人(70代男性と20代女性)の新型コロナウイルス感染者が出た。午後4時からの県知事会見をテレビで見た=写真。どこで感染したか、がわからない。ということは、市中感染? 

福島県の感染者はこれまで2人だった。1人は「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗ったいわきの70代男性。もう1人はエジプト旅行帰りの郡山の70代女性。おおよその感染経路が特定できたから、市中感染を警戒しても恐れるほどではなかった。ところが、今回はそんなわけにはいかない。いつでも、どこでも、だれでも――というところまで感染が広がりつつあることを示す。

先日、東京から里帰りした大学生の“孫娘”が母親とやって来た。いつもそうするように、カミサンがカレーライスを作った。母親はハンドルキーパー。20歳を過ぎた“孫娘”と、焼酎の田苑を飲みながら話した。

「ほんとうは(ジイバアには)近づかない方がいいんだろうけど」。年寄りに気を遣いながらも、東京での様子を報告して、こう自分の気持ちを口にした。「ぼんやりとした不安」――。芥川龍之介が自殺する前、同じことを言っていたのを思い出す。

確かに、今回はパンデミック(世界的大流行)になった。世界が「ぼんやりとした不安」に覆われている。

 おおよそ1カ月前、こんなことを書いた。「あさイチ」が番組冒頭で、休校になった子どもたちのために自衛策を解説した。そのなかに「高齢者のいる家は避ける」があった。解説者は「なるべく」と付け加えたが、孫にジイバアの家には行くな――といっているようなものではないかと、腹が立った。

そのころはまだ、新型コロナウイルスの怖さが理解できていなかった。高齢者はかかりやすい、高齢者から感染するので近づくな――そう解釈した。ところが、ほんとうはこうだったのかもしれない。子ども、あるいは若者はかかっても軽症、自覚がないまま新型コロナウイルスをばらまいてしまう、年寄りは感染すると重症化しやすい、だからなるべく高齢者の家は避けるように――。

今週中には持病の薬がなくなる。新型コロナウイルスが大騒ぎになってから、かかりつけの医院へ薬をもらいに行くのは二度目だ。前回はたまたま、患者が集中する朝の開院時間を避けて、10時半くらいに行ったら誰もいなかった。今度もそうするか。いや、電話して薬だけもらうようにするか。若者も年寄りもコロナを避けるための想像力が試されている。

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